今朝の新聞のトップ記事のタイトルである。
人類史上初めて核兵器を違法化する核兵器禁止条約の発効がきまった。
同条約は核兵器の使用や使用の威嚇、生産、保有、実験、配備などを広く禁止している。前文では完全廃絶こそが二度と使われないための唯一の方法であるとうたっている。
同条約の発効で核兵器は違法のものとなる。
今朝の新聞のトップ記事のタイトルである。
人類史上初めて核兵器を違法化する核兵器禁止条約の発効がきまった。
同条約は核兵器の使用や使用の威嚇、生産、保有、実験、配備などを広く禁止している。前文では完全廃絶こそが二度と使われないための唯一の方法であるとうたっている。
同条約の発効で核兵器は違法のものとなる。
今日の新聞の一面の記事のタイトルである。
ジャマイカとナウルが新たに批准書を国連に寄託してことで発効要件の50ヵ国到達まで残り一ヵ国となった。「核兵器廃絶国際キャンペーン」の会合でこの二ヵ国が寄託したことを表明した。
この会合では
被爆者を代表して広島市出身でカナダ在住のサーロー節子さんが発言。
「これはまさしく核兵器の『終わりの始まり』を刻むものだ。これをくぐり抜ければたたかいの新たな一章が始まる」と核廃絶の決意を語った。
「科学は無知を描き出す地形図である。」
この句はホームズ(Oliver W. Holmes)のものである。
僅かな知識が点在する広大な自然を言ったものである。科学はわれわれが如何に無知であるかを明らかにする作業なのかもしれない。
同じような趣旨の句に以下の句がある:
True science teaches, above all, to doubt and to be ignorant.
「真の科学は何を教えるかというと、なによりも疑うことを教え、無知であることを教えるのだ」
ウナムーノ(Miguel Unamuno)のものである。
「河を渡っている間に馬を乗り換えるのは最上の策ではない。」
この句はアブラハム・リンカーンが選挙演説の中で言ってものである。
物事を中途半端で変更することを諌めた言葉だ。馬が出てくるのが面白い。
これもネコの話題で今朝の新聞の記事のタイトルである。
ペルー文化省は「ナスカの地上絵」が点在する同国南部で新たに全長37メートルのネコの地上絵を発見したと発表した。2000年以上前に描かれたものらしい。
新たに見つかった地上絵は長い胴体と縞模様の尾、先の尖った耳を持つ頭部で構成されており、丘の斜面に描かれている。画像はここ。
今日の新聞の記事のタイトルである。
猫の前でゆっくりまばたきをすると猫もゆっくりとまばたきを返すことがわかった。
英国のサセックス大学の研究者たちが実験で確認した。研究レポートはここ。
実験では14世帯の飼い猫24匹を対象とし、それぞれの飼い主にゆっくりままたきをしてもらい猫の反応を調べた。飼い主が何もしないばあいに比べ、片目を閉じたり目を細めたりすることを含め、猫たちはゆっくりとしたまばたきを返すことが多くなったという。
我が家の猫は飼い主がラジオ体操で首の運動を始めるとしきりと「挨拶」をする。これも今回の実験結果に何か関係しているのかもしれない。
「する値打ちのあることならば、それはうまくする値打ちがあるものだ。」
これも「ハートで読む英語の名言」(加島祥造 著)にあった英語の句と日本語訳である。その心は「どうせやるなら、うまくやれ」だそうだ。
チェスタートン(Gilbert Keith Chesterton)はこの句をもじって
「する値打ちのあることならば、それを下手にしても値打ちがあるのだ」
と切り替えした。「ハートで読み英語の名言」の著者はこちらのほうがずっとよいとしている。筆者もそうだと思う。
残念ながらチェスタートンの句の原文を見つけることができなかった。
「ハートで読む英語の名言」(加島祥造 著)を見ていたら目に留まった英語の句の一つである。
「目標は大きく持て」という意味に使われることが多きが本来は少し違っていたらしい。
ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)のこの句は神学的・道徳的な教訓であった。
星は神性を意味し、それはその人の悪事や不正をみるとその人を見捨てる。だから「神性が褒め称える徳性の方向に自分を向けなさい」という意味。
本来の意味とは少し違うが
「目標は大きく持て」
がいい。
十字路の信号で停車しているとき車の窓から斜め向いに見えた旅行用品を扱う店の看板に書かれていた英語の句である。
直訳すると
「人生は導きの光に向かう一つの旅である」
となる。
この看板にはこの日本語訳らしい意味で
「旅は人生の道標」
と日本語の句が添えられている。この日本語の句の意味が理解できないし、タイトルの英語の句の日本語訳だとすると何か変だと思う。
3000年前中央アジアで馬に乗っていた人が球技をしていた可能性があることが分ったという今日の朝刊の記事である。しかし馬に乗りながら球技をしていたかは不明との由。
チューリヒ大学の研究者たちは新疆ウィグル自治区の町ドルファンの近郊にある遺跡で見つかった革製のボールを解析した。これらのボールは直径が7.4~9.2 cmで2900~3200年前のものであることがわかった。画像はここ。
三個のボールの内二個は埋葬された人が乗馬の習慣を持っていたことが別の遺物で確認されている。研究者たちはこの二つのボールはこの乗馬の習慣を持っていた人物が使っていたものだと見ている。
しかしこの人物が馬に乗りながらこのボールを扱っていたことを示す遺物は確認されていないという。