The Lost Romans:ルーマニア(Romania)の歴史

ルーマニア(Romania)の歴史を知りたくて”The Lost Romans (History and Controversy on the Origin of the Romanians)”(Mircea Davidescu著)を読み始めた。

1.紀元二世紀ごろローマ帝国は南東ヨーロッパに大規模な植民をした。これら人々の後裔がルーマニア(ローマ人の国)の文化的・人的構成要素を作っている。ローマ軍の駐留は200年弱であり同じようにローマ軍が駐留したイングランドがラテン化しなかったことと対照的である。多分当時のダチア(ルーマニアの古い呼称)を含め古ヨーロッパといわれた地域はヨーロッパの先進地域でローマの文化を理解し吸収する素地を持っていたのであろう。ローマ帝国崩壊後もこれらに人々は自分たちをロマーニア人(Romanians)と自称し、周囲のゲルマン諸部族と区別してきた。

2.ルーマニア語はラテン系の言語である。これはルーマニア人(Romanians)の由来を考えると自然なことである。しかしルーマニア語は言葉の構造はラテン系であるが、語彙の約40パーセントは非ラテン由来である。面白い例では神(Dumnezeu)、教会(biserica)、十字(cruse)などのキリスト教の基本概念はラテン語由来なのに対して、神父(popă)祝福(blagoslovire)、僧(călugăr)、四部ゴスペル(tetravanghel)などの教会組織に関わる言葉はスラブ語やギリシア語由来である。

3.ルーマニアの宗教はキリスト教の中の正教(Orthodox Church)である。これはラテン系の言語を話す国の全てがカソリックであるなかの例外である。これは四世紀に正教を国教としたコンスタンティノープルにできたビザンチン帝国からの文化的な影響が考えられる。

 

今年(2021年)の節分は二月二日

節分は立春の前日であるが、今年(2021年)は二月二日がその日である。これは124年ぶりのことだという。

立春は太陽暦では固定された日のように思われるが二月四日であったり二月三日であったりと規則的であるが微妙に動く。ここ暫くは二月四日であったが今年は一日早い二月三日になり、暫くは三日が続く。二月五日になることもある。

江戸時代には立春のあるべき月も決まってなかった。例えば「天保暦」では「歴日中、冬至を含むものを十一月、春分を含むものを二月、夏至を含むものを五月、秋分を含むものを八月とする。」(能田忠亮著「暦」(至文堂:昭和41年)となっており立春のあるべき月の規定がない。

以前にこのブログでも話題にしたが「立春正月」という言葉がある。江戸時代の暦では立春が元日前後になることをいった言葉である。元日が立春の前になることもあるし後になるもあった。

TenFourFox:PowerpcG4のMac Miniの強力な助っ人

我が家には20年以上前のパワーPC(Powerpc)時代のMac Miniが一台ある。cpuはppc7450でmacOSは10.5でこれ以降はアップルから見放されたものである。メール(mail)とwebブラウザー(safari)を使っている。mailはまだ実用になるがsafariはさすがに古く閲覧できないサイトが頻出している。

骨董的な価値があると思って捨て難くしかし実用にならないとすると荷物になるしと困っていると、TenFourFoxというwebブラウザーがあることがわかった。これはアップルから見放されたppcマシンを救済しようとするプロジェクトでこのwebブラウザーはppcに特化しておりしかもアクティブに更新がされている。

インストール(管理者権限)でインストールし、アプリケーションホルダにいれる。このままではメニュ等は英語表示であるが、日本表示のためのパッケージが用意されている。これは各ユーザがするようになっている。

使ってみるとsafariでは閲覧できなかぅた多くのサイトが閲覧できる。さすがにG4では画面更新は遅いがもう少しこのmac miniは使えるかなという気になった。

仙台榴ヶ岡天満宮「撫で牛」

年賀状の牛のイメージを求めて榴ヶ岡天満宮に行ってみた。車か地下鉄(東西線)か、電車(仙石線)か、徒歩か。仙台駅から徒歩だと15分、地下鉄宮城野新町から徒歩で10分。仙石線榴ヶ岡駅から徒歩で3分。風が強く寒かったので徒歩3分を選択した。

天満宮はすっかり正月の準備ができていて受験生と思われる若者たちが参拝していた。

目的の「撫で牛」の画像はこれ。

フラミンゴはなぜピンク色をしているか?

Newscientistにあった記事のタイトルである。オリジナルの記事はここ

長い脚と明るいピンクの羽毛を持つフラミンゴはアメリカ大陸、アジア、アフリカそして南ヨーロッパの各地で観察される渉水鳥である。

フラミンゴの名前はポルトガル/スペイン語のflamingesに由来する。この言葉はかれらの刺激的な色の羽毛に燃えるような色彩と翻訳できる。しかしかれは生まれながらにピンク色をしているわけではない。フラミンゴはひよこのときは羽はくすんだ灰色をしている。

フラミンゴがピンク色をしている原因はかれらの食餌としているコケ、エビ、藻にまで遡る。かれらがホームと呼んでいる湿地の生息地はブルー・グリーン苔で敷き詰められている。この名にも関わらず、この苔はベータ・カロチンという化学物質のために赤またはオレンジ色をしている。この化学物質はカロチノイドという赤・オレンジ顔料を持っている。この顔料はにんじん、サツマイモそしてホウレンソウにも含まれている。

フラミンゴがこれを食べると消化器官の酵素はカロチンを分解、赤・オレンジ顔料は肝臓の脂肪に吸収される。この脂肪は成長するに従いフラミンゴの羽毛や皮膚に堆積する。フラミンゴの食餌がベータ・カロチンを多く含む資源に頼らざるをえないので、フラミンゴは段々とピンクになる。

小惑星「りゅうぐう」の石

星間空間では気体、分子、塵(固体微粒子)が存在する。石は存在しない。今日の新聞には「はやぶさ2」が持ち帰った小惑星「りゅうぐう」の石の写真が掲載されていた。石ってどうやって作られるのだろうか?砂は?星間空間にある塵(1mmの千分の一程度の大きさ)が凝集したものだろうか?

火星と木星との間に小惑星帯があり大きなものでも2万個ぐらい見つかっている。嘗てはここに惑星があったが何らかの原因で分裂して小惑星になったと思われている。小惑星「りゅうぐう」もその一つである。石は既に惑星の時代に形成されていたものだろうか?

ゴクゾウムシ何を”語る”か:縄文土器から多数発見

昨日の新聞の記事のタイトルである。

イネの伝来と共に日本に入ってきたと思われてきたゴクゾウムシが縄文前期の土器の圧痕として多数見つかっている。

この発見は北海道の館崎遺跡、青森県の三内丸山遺跡、熊本の役所田遺跡と日本の広い範囲の遺跡に及んでいる。

ゴクゾウムシは当時栽培されていた栗を食料としていた。

土器に圧痕として見つかったゴクゾウムシ。縄文人が意図的の土器製作の過程でいれたのであろうか?