前回のブログで
現生ウマ(全てが家畜化されたウマの後裔)の遺伝的な特徴として最初に家畜化された牝ウマが多様なのに対して雄ウマは一頭にすぎないことを紹介した。
家畜化の関して何故このような偏りが出たかを考えてみたい。
それは家畜化される前の野生ウマの生態に関わっているに違いない。いまとなっては本来の野生ウマの生態を観察することはできないが、家畜ウマが野生化したウマたちの生態は観察できる。
世界の幾つかのところ(ウクライナのアクカニア・ノヴァ、メリーランドやヴァージニア州の堡礁島、そしてネヴァダ州北西部が有名)で自然のままのウマの群れを観察できる。これらの野生ウマたちの標準的な群れは二から七頭の牝ウマとその子どもたちとハレムを形成する一頭の雄ウマからなる。青年期の雄ウマたちは二歳ごろにこの群れを離れる。雄ウマ・ハレムの群れ集団は縄張り範囲を占領する。雄ウマたちは牝ウマのコントロールや縄張りを巡って激しく争う。若い雄ウマたちは排除されたあと、かれらは定住した雄ウマの縄張りの境界でこっそりと「独身群れ」と呼ばれる緩い集まりを形成する。大抵の独身ウマは五歳以上にならないと大人の雄ウマに挑戦したり牝ウマたちを自分のものにすることはできない。確立された群れのなかでは牝ウマたちは群れを先導し脅威が生まれたときは先頭に立つ指導的な牝ウマを頂点とする階層構造を作る。従って牝ウマたちは他の支配、それが牝ウマ、雄ウマそしてヒトであれ、を受け入れる素地を持っている。これに反して雄ウマは頭が固く乱暴であり、噛みついたり蹴ったりと他の権威に対して挑戦的な素地を持っている。相対的に扱いやすく御しやすい牝ウマたちが野生の群れの階層構造の底辺で見つかりやすくなる。しかし相対的に扱いやすく御しやすい雄ウマは例外的な個体であった。つまり野生では自分の子孫を残す可能性のない個体であった。
ウマの家畜化はこのような相対的に扱いやすく御しやすい個体がウマの家畜化の系統を作ろうとしたヒトの住むところに現れたという幸運によっているのかもしれない。ウマから見るとヒトは相手を提供してくれる唯一の方法であったし、ヒトから見るとかれはヒトが欲しがっていた唯一の雄ウマであったわけだ。