「馬への挽歌ー遠野」という木下順二の同名の随筆がある。そのには20世紀の初めまで遠野で盛んであった「駄賃付け」という仕事について地元の人たち(70代)が語った物語が記されている。
「百姓がだめなら駄賃にでるか」
「駄賃付け」とは自分の馬を三頭から五頭も一人で曳いて荷物(米)を運ぶアルバイトである。遠野で収穫された米を峠を越えて盛岡・花巻・北上の内陸部へ、宮古・釜石・大船渡・陸前高田・気仙沼の浜へ運搬して帰りのは魚や塩を「帰り馬」の背に載せて遠野に帰ってくる。片道三十里(約120キロ)もある。これを日帰りでこなす。馬の背には一斗俵(約15キログラム)を三から四つ積む。馬の数五、六十頭の集団で遠野を出発する。
出発は午前三時ごろ。『保温のためににんにくをまぜた秣を馬に与え、道草をしないように口籠(くちご)を一頭一頭にはめ、いい音に響く鳴輪を頸にかけ、蹄にはこれも保温のために唐辛子を詰めたわらじを履かせる。』
降りしきる雪の中の出発だ。五頭一組ならば、馴れた馬を一頭先頭にして次にこの馬の引き綱を持った馬子が続き、これに三頭の馬が数珠繋ぎになり、しんがりは馴れた馬の順で歩く。道が凍っているときには鉄沓(かなぐつ)をわらじの下につける。
『時としては三尺も積もる吹雪の中で、鳴輪の音は荒い馬の息づかいと共に切れ切れに尾を引いて嵐の中に飛ぶ。そして鼻息は垂氷(たるひ)となって馬の鼻づらに二尺ほとも垂れ下がる。』こんな状況の日もある訳である。
遠野へ帰着するのは深夜になることもあるが、夕方になることもある。夕方だともう一つ仕事が残っている。馬子は酒屋に向かうわけだ。ご帰還は馬に連れられてということもあるわけである。
このように馬も沢山いた。