マイナ保険証が大きな問題になっている。極めて大きな影響が国民全体にかかる問題だからだ。大きな機構の変更には様々なミスが不可避である。「人為的なミス」も機構の変更上のミスである。大事なことはそのようなミスが起きたときにはどうするかを事前に検討して置くことである。ミスによに不利益にたいしても補償をすべきである。このように膨大な課題に無頓着なのはよほど
「デジタル無謬神話」に毒されているに違いない。デジタル処理は人間の「マチガイ」を「タダシク」実行するものである。
河野太郎デジタル相はこの機構の変更を通じて国民全体がデジタル化の恩恵を受けれるようになると強調している。この親切心の押し売りの極みはこの親切を断るとペナルティーが課せられることである。
マイナ保険証はもっと大きな問題を含んでいるようにおもう。マイナンバー・カードを保険証代わりにする制度は目的ではなくて、「普及」のための手段だ。そのせいか政府の取り組みは極めて安易なものになっている。現行の紙の保険証は「保険者番号」と「非保険者番号」でその保険証が唯一無二であることを保証している。名前や住は利用者の便宜のためにすぎない。そんなデータを「紐づけ」のキーとすることが間違いだ。最近では政府はマイナ保険証を使うときには紙の保険証をも持参するようにと勧告している。???がいっぱいだ。
またマイナンバー制度とマイナンバー・カードとは違うとも弁解している。
マイナンバー・カードの強権的「普及」策によって申請が増えてきてマイナンバー制度の骨幹をなす個人情報の厳密な管理・運用が全くできていない、
そのことが明るみにでたわけだ。システム設計の根幹に関わる問題である。
なぜそれまでしてマイナンバー・カードを普及させたいのであろうか?
マイナンバー制度には巨額な国費がつぎ込まれており、世界的にグーグルやアップルに大きく水をあけられてしまった日本のIT大企業にとっては独占的に儲けることができる機会である。「普及」すればするほど収益が得られる。
また国が管理する個人情報をマイナンバー制度を期に民間利用ができるようにする規制緩和が目論まれているからだ。
さらにまたこれを期に国民にたいする行政サービスを画一的(つまりデジタル化に対応できない国民の切り捨て、デジタル化に対応できない住民サービスの切り捨て)にしようとする意図も見える。
「任意」を「強制」にすり替えるマイナ保険証の仕組みは撤回すべきである。そして真に国民の利益になる「デジタル化」とは何かを再検討すべきである。