朱子における日食・月食の理解

「朱子の自然学」(山田慶児著)によれば朱子(朱熹(しゅき))は朱子学の大成者であるが自然現象にも並々ならぬ関心を示していたという。ここでは当時天文暦の精度をきめた日食・月食の現象としての理解を紹介したい。

太陽も月も仮想的な天球上を動いているが、

「会合するとき太陽と月はその黄道と赤道(月道のまちがい)の十字路の交点で互いに出くわす。望のとき月と太陽がちょうど向かい合う。太陽な朔に食するわけは月はいつも下にあり太陽はいつも上にある。下のほうにある月に太陽が遮られる。望のときに月が食するのはむろん陰がに陽に対応すからだ。」

これは朱子の晩年の発言で弟子の沈燗の記録による。当時は月は自ら光を発しているものではないことは知られていた。天球上の月と軌道と太陽の軌道の交点のところに両天体があり、二枚の紙が重なるようになる。月が下になり太陽が上になるのを下から見る。これが日食という現象であるとという合理的な説明を朱子はしている。月食の説明は極めて思弁的説明に終わっている。

 

 

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