「名月を取ってくれろと泣く子かな」(小林一茶)

上の句にまつわる小話でそれを聞いた父親が「梯子があれば屋根に上がって取ってやれるんだが、生憎梯子がないなあ」。満月の月は一段と大きく見え近くに感じられる。

不思議なことにあれほど精緻な暦を作った近世の日本の天文学では天体までの距離が問題となったことがない。先日「朱子の自然学」(山田慶児著)を読んだが、12世紀の中国の天文学においても天体まで距離は問題とされなかったという。なぜか?

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