秦の終わりころの陳勝(ちんしょう)の名文句である。
またかれは
「王候将相(おうこうしょうそう)、なんぞ種(しゅ)あらんや」
つまり権力の中枢にある人々は生まれながらにそれになる人種が決まっているわけではないぞ、という意味。
「小説十八史略」(陳舜臣)から。
また同じ「陳勝呉広」の節に
「星々の火、以(もつ)て原を燎(や)く可(べ)し」という」という興味ある諺が載っていた。
秦の終わりころの陳勝(ちんしょう)の名文句である。
またかれは
「王候将相(おうこうしょうそう)、なんぞ種(しゅ)あらんや」
つまり権力の中枢にある人々は生まれながらにそれになる人種が決まっているわけではないぞ、という意味。
「小説十八史略」(陳舜臣)から。
また同じ「陳勝呉広」の節に
「星々の火、以(もつ)て原を燎(や)く可(べ)し」という」という興味ある諺が載っていた。
阿蘇付近の馬子唄を調べていたら、面白い名前の温泉に出会った。
名前も面白いが温泉の質もいいらしい。
こんな説明があった:
飯田高原の中央にある馬子草(まごそ)温泉は、加温・加水をしていない源泉掛け流しの温泉です。黄色のにごり湯で、肌がしっとりするくらいやわらかなお湯は皮膚病、火傷、関節痛などに効果があり、飲用することで糖尿病や肝臓病、胃腸にも効くと言われています。泉質のよさはもちろん、くじゅう連山をパノラマで見ることができる露天風呂の景色が最大の魅力。広々した湯船からは、硫黄山のモクモクと立ち上がる白い煙や、青々した草が広がる高原が望めます。
The big book of catsという楽しい猫の写真集がある。
その中に前肢をきちんと揃えて、尻尾をくるリとその前肢に巻きつけた端整なねこの写真があった。以前これと同じような写真を撮ったことがあるので、その写真を載せておく。モデルは我が家の猫「にっこ」くんである。
日本密教の本を読んでいたら密教の日本的な展開の上で「権現思想」が大きな役割を果たしていることが分った。
その権現思想とは
仏教が輸入され従来の日本の神々と競合し仏教が優位にたってくる状況で、仏教の仏と日本の神々と折り合いが付けられた。日本の神々は仏教の仏が変化したものであるという発想である。これが「権現」である。この発想は奈良時代にもうあったもので、平安時代の「本地垂迹(ほんちすいじゃく)説」の萌芽である。
この権現思想は山嶽信仰で重要になる。例えば、大峯山の本尊は「蔵王権現」(ざおうごんげん)である。この権現は「金剛蔵王権現」(こんごうざおうごんげん)が正確な名前である。
宮城と山形の間にある蔵王山(ざおうさん)の名前の起源もこの「蔵王権現」のように思われる。
ネットワークが不調でここ2,3日記事をかけなかったが
「フランスで出会った猫たち」(レイチェル・マッケナ)を眺めていて見つけた猫に関する格言を紹介したい。
(1)猫は毛皮と着たディレッタントだ。
デオフィル・ゴーチェ
(2)猫は書斎の虎だ。
ヴィクトリ・ユゴー
(3)数多くの哲学者と数多くの猫を研究した。
猫の知恵のほうが果てしなくすぐれている。
イポリット・アドルフ・テーヌ
(4)猫は地上に降り立った精だと私は信じている。
猫なら雲の上だって足を踏み外さずに歩けるはずだ。
ジュール・ヴェルヌ
(5)他の動物はすべて眠るときには疲れきった様子で横たわるのもだ。猫だけが自然から特権を与えられている。詩人であればそれほど現実をねじまげることなく、その眠りを瞑想や夢想と描写するだろう。
マリウス・ヴァジョン
(6)神は虎を愛撫するという喜びを人類の与えるために猫をつくった。
フェルナン・メリー
(7)まどろむ小さな猫。それは美の完璧な姿。
ジュール・シャンフリー
サラブレッド種(Thoroughbred)の起源は17および18世紀にオリエントの牡馬と英国の在来の「走り馬」たちとの交配にある。それらの馬は
Byerley Turk(1689)、
Barley Arabian(1704)、
Godolphin Arabian(1728)
であった。かれらによってサラブレッドの主たる四系統(Herod, Eclipse, Marehem. Highflyer)が創られた。
大坂冬の陣で真田信繁と信幸の兄弟が登場する歌舞伎である。時代を鎌倉時代に移している。徳川家康は北条時政、真田信繁は佐々木高綱、信幸は盛綱となって登場する。八段目が「盛綱陣屋」で、首実験が大きなテーマになっている。
「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の「寺子屋」、「義経千本桜(よしつねせんぼんさくら)」の「すし屋」、そして「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の「熊谷陣屋」でも首実験が大きなテーマである。
花巻市街地と花巻温泉郷を結び走っていたのが花巻電鉄である。1969年まで現役であったが、現在唯一存在する車両に乗ってみる体験会があった(河北新報8月15日記事)。
記事によれば花巻電鉄は県道の一部を借用してレールを敷設したため、レールの最大幅員が1.6メートルしかなく、従って車両も極めて縦長になっている。これを称して「馬面(うまづら)電車」と言ったそうである。
画像はここ。
もう一つ古式の雰囲気を残す夏の祭りを紹介したい。それは夏越祓(なつこしのはらい)である。
縄解きの神事が始まる。神前に供えられいた短い縄の山が神官たちによって参拝者に配られる。一人に二本ずつ、一本は右より、もう一本は左より。祝詞が詠まれる。参拝者はみな右縄の一端を口にくわえ、右手で縄の撚りを解く。また祝詞が詠まれるが、今度は左縄で同じことをする。すっかり解けてしまった縄で体にあちこちをさする。これによってその人の災厄や不祥の全てが縄に移される。この縄はあとで人形(ひとかた)とともに川に流される。
川原に祭壇が作られている。その祭壇には人形が置かれている。人形は白紙に人形を黒や赤で画いたものである。この人形がさきほどの縄と一緒に川に流される。これが夏越祓(なつこしのはらい)である。
人形を流す風習は平城京の時代でも知られている。穢れやそれを浄める祓いは古い時代からあったわけである。