讃岐街道と義経

これも「街道」にあった話である。讃岐街道は四国の東端から屋島に通じる街道である。

屋島に陣取っていた平家の軍勢に対して海からではなく、山側から奇襲をかけたのが義経である。撫養(むや)街道の板野から北上する讃岐街道は大坂峠という難関がある。この大坂越を雨を突いて進撃した義経等150騎はこの峠を突破して瀬戸内海に出て屋島に出たという。摂津の渡辺津から義経がとった経路はここで見れる。

街道というものは人や物は通るものであり、人が登場するがその街道を使った人のいろんなエピソードが面白い。

 

備讃瀬戸・丸亀渡しと北畠師清(もろきよ)

これも「街道」(杜山 悠著)に出ていた話である。

海賊の話である。瀬戸内海は海賊の活躍したところである。「村上水軍」がその一例であり、近くには九鬼水軍(くきすいぐん)がいた。

今は瀬戸大橋が架かり面影が無くなっているが、児島半島の先端にある下津井(しもつい)港から四国の丸亀までは塩飽(しわく)諸島を縫って海上航路が開かれていた。この塩飽諸島は海賊の本拠地であった。表題の北畠師清(もろきよ)もここで活躍した人物である。

かれは南北朝時代の南朝の武将北畠顕家の落胤と自称し、伊勢の海から備讃瀬戸に入り塩飽海賊を手下にし、その勢いで村上水軍の総師になったといわれる人物である。海の歴史も面白い。

生きることは描くこと:大地の画家・神田日勝

このタイトルの記事が「大人の休日倶楽部」2020年7月号に載った。この画家についてはこのブログでも以前取り上げた。今年はこの画家の没後50年にあたるのでいろんなかたちで取り上げられている。

かれが画家かつ農民として生活した北海道鹿追町にある神田日勝記念美術館にはかれが描いた多くの絵画が展示されている。馬を描いた作品も沢山ある。

この地方は現在でも馬が多く、この鹿追町には日本最長の馬の散策路「馬の道」がる。

西国街道攝津路と荒木村重

「街道」を見て見ていたら「荒木村重」という人物が登場する街道が紹介されていた。それが表題の西国街道攝津路である。伊丹市から西宮に向かう街道である。その街道沿いに伊丹城(跡)がある。この城の城主だったのが荒木村重だった。

荒木村重は現代のわれわれからみると理解し難い行動をした戦国大名である。その行動は「下克上」が普通であった戦国時代の潮流からかもしれない。そこから荒木村重は本能寺の変の首謀者だったのではないかという説も生まれている。

「飼養衛生管理基準」の改定案の問題点

農林水産省が検討を進めている「飼養衛生管理基準」の改定案が畜産農民の中に不安を広げているというニュースが今朝の新聞に載った。

家畜伝染病が発生した際の「放牧中止」などの項目である。農民運動全国連合会も意見書を出した。その中で肉用牛の繁殖雌牛の17パーセント、酪農での飼養頭数の23パーセントが放牧であり、この中止条項の影響は大きい。放牧は耕作放棄地の解消や森林・農地の維持に大きな役割を果たしており、放牧が家畜伝染病の感染リスクを高めるという科学的な根拠は示されていないいう。

また記事は「放牧の中止はSDGs(持続的開発目標)やアニマルウェルフェア(動物福祉)を進めている国際社会の流れに逆行する」(畜産農民全国協議会の会長の森嶋氏の発言)という発言も載せている。

これらの運動があって「放牧中止」の項目は改正案から削除されることになったが、図らずも役所の現状認識や世界的な潮流に対する認識不足を露呈する結果となった。

北原ミレイが歌う「石狩挽歌」

演歌のジャンルに入る音楽CDを一枚だけ持っている。それが北原ミレイが歌う「石狩挽歌」である。この歌は普通の演歌にはない歌詞でできている。作詞はなかにし礼である。

歌詞は:

海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く

燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーレン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 綱を尭(ひ)く

と続く。作曲は浜 圭介。いろんな歌手が歌っているが、この曲を最初に歌った北原ミレイがいい。

スピン・コントロールと回転式住所録

グラフィックスユーザインタフェース(GUI)の部品(ウィジェット)にスピン・コントロールというものがある。整数値を1つ表示する表示窓があり、その脇に上向きの矢印と下向きの矢印があり。上向きの矢印をクリックすると表示は増加し下向きでは減少する。このようにして整数値を選択できるようになっている。スライダーがアナログ的なのに対して、これはディジタル的なものである。

このスピン・コントロールの動きを見ていたら回転式住所録を思い出した。画像はここにある。

トグルスイッチ

これもユーザインタフェースの話である。

トグルスイッチまたはトグルボタンというものがある。二つの状態をとるスイッチでスイッチを押すと現在の状態から別の状態に切り替わる。

我が家でも電灯を付けたり消したりするトグルスイッチが使われている。電灯が消えているときにそのスイッチを押すと電灯が付き、電灯が付いているときにそのスイッチを押すと電灯が消える。つまりこのスイッチは二つの状態を取ることができるスイッチである。しかしスイッチの外見からはそのスイッチが今どちらの状態にあるかを知る手がかりは全くない。このスイッチは小スペースに配置できる利点があるが、これがこのスイッチの欠点である。

誰のためのデザイン?認知科学者のデザイン原論」のなかで著者のD.A. ノーマンはこのトグルスイッチをよくないデザインの例として取り上げていた。

例えば、このスイッチをエレベータのドアの開閉に使ったとしよう。

ドアが開いていたらそのボタンを押すとドアが閉まり、ドアが閉まっていたらこのボタンを押すとドアが開く。しかしドアの状態が見えないとこのボタンは有効に使えない。

エレベータのユニヴァーサル・デザインではドアを閉めるボタンとドアを開けるボタンは別々になっている。

ラジオボタンとチェックボックス

グラフィックスユーザインタフェース(GUI)の部品(ウィジェット)にラジオボタンとチェックボックスというものがある。どちらも提示された一群の選択項目からユーザが項目を選択する機能を持っている。違いはチェックボックスでは複数の項目が選択できることに対してラジオボタンは一つの項目のみが排他的に選択できる点にある。

このラジオボタンの名称の由来は旧いラジオの前面に配置されていた複数のラジオ局の選択ボタンである。一つのラジオ局を選択する(押す)と他の局のボタンが浮き上がった状態になり常に一つが排他的に選択されるようになっていた。このラジオボタンがGUIのラジオボタンになった。

旧い時代の機器が持っていたユーザインタフェースがそのままの機能でGUIに取り込まれたことが面白い。

庚申(こうしん)道:狸と猿の街道

庚申(こうしん)道というちょっと変わった名前の街道がある。

狸の焼き物で有名は信楽(しがらき)焼の信楽を含むように南北に走っている街道である。猿は庚申の使いで、何も悪いことは報告しないというポーズの三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)であるが、この街道沿いにある寺(庚申山広徳寺)には大きな石柱のてっぺんにこの三猿が彫られている。この猿が街道の名前の起源。