「中馬を狙った野盗の罠」(松本)

表題は昨日のテレビ番組の水戸黄門(西村 晃主演)のタイトルである。このタイトルにある「中馬」が今日のテーマである。馬によるヒトや物資の運搬を仕事にする運搬労働者は時代毎に、「馬借」(中世)、「馬方」(近世)、「馬力」(明治)と名称が変わるが、この「中馬」(ちゅうば)は「馬方」の時代に登場する。
松本は江戸時代には中山道や甲州街道の分岐点になっていたので、ヒトや荷物の流通が盛んであった。江戸時代には各宿場町には宿駅制に基づく交通運輸制度があったが、これらは本来武士団のものであった。これらは助郷など農民にたいする賦役の形で制度化されたものである。しかし時代が進むと、人馬の往来がしげくなり、商業の発達で輸送する貨物の量が増えると旧来の制度では賄えきれなくなる。そこで、駄賃・駕籠賃をとってヒトや物資の輸送を仕事にする運輸労働者の集団が出現することになる。彼らは馬子(まご)、駕籠かき(くもすけ)、川越人足(蓮台がつぎ)などと呼ばれた。
これらのプロ集団に対して、下層農民の農閑期のアルバイトとして運輸労働をする集団も現れる。これが「中馬」(ちゅうば)である。この「中馬」は地理的な特徴があり、関所の煩いのない中部高地の脇往還に発達した。まさに松本などがそうである。四頭の馬を用いての中馬稼ぎは、山間農民の主要な生計手段ともなった(馬の文化叢書「馬の文化史」)。
この「中馬」を含め、近世の馬子・馬方の実体がかなり複雑なようだが、農との結びつきが強い。この点では、駕籠かき(くもすけ)、川越人足(蓮台がつぎ)などとは異なる。落語の「三人旅」に登場するように、馬子は粗野ではあるが純朴な気質を持っていると感じられる要素はこの辺にあるのかもしれない。

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