須弥山宇宙と地動説

ヨーロッパにおいては「天動説」から「地動説」へに転回は大論争を引き起こし、その転回は「コペルニクス的転回」として科学史上の大転回と位置づけられている。

江戸時代になってこれらの知識がわか国へももたらされるが「地動説」を「天動説」からの「コペルニクス的転回」として驚きを持って受容したようには思えない。

これは当時主流であった儒教には「宇宙モデル」というものがなかったことに起因するように思われる。面白いことには、仏教が「天動説」や「地動説」に敏感に対応していることである。

仏教は伝統的な「宇宙モデル」を持っていた。それが須弥山宇宙である。西洋天文学の新知識と須弥山宇宙とを融合する努力がなされた。「星の宗教」(吉田光邦著)によれば、その努力の頂点にたったのは円通である。彼は「仏国暦象論」「梵暦策進」の著書で地動説は須弥山宇宙に含まれると主張した。かれは「地動説」を充分理解し、地動説は須弥山宇宙の見えてる部分に対する説だとした。西洋天文学の受容の仕方としてこれは面白い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です