中世の大学で最も重要な集団の単位が国民団(ナテイオ)であった。出身地を同じくするものが相互の利益を守るために大学のなかで結成したものである。
例えばボローニャにはフランス、イギリス、ピカルディ、ブルゴーニュ、ボルドー、カタロニア、ハンガリー、ポーランド、ドイツなど十三の国民団があり、イタリア出身者のために四ないし三つの国民団があった。国民団は大学の重要事項を決める単位であった。中世の大学は国際的かつ学際的であった。
この初期の大学の特徴は国境という枠によって強く規制され、学問の単位として学部を重視する傾向とが強まることによって無くなってゆく。