司馬江漢著 「和蘭天説 」再論

司馬江漢著 「和蘭天説 (Oranda tensetsu)」は寛政8年 (1796)の出阪である。この本の内容の種本は

天経或問游子六著:享保十五年(1730)
太陽窮理了解説本木良永訳 寛政四年(1792)

であるといわれている。特に後者は英ジョージ・アダムスの天文書 (英語版 1766、蘭語版 1770) を和訳したものである。太陽系の大きさに関心を持ち、実測をしたカッシーニの観測は1671年であるので、実物は読んでいないが、このアダムスの本には地動説は勿論この観測結果による太陽系の大きさの言及があると思われる。

和蘭天説には以下のような件がある:

「日月五星および恒星は、地上より仰望ば天にかかりてありと雖も、天地の大いなりを究めるれば、太陽月地と併せて称するにたらず、地も一つの星なり」

つまり、宇宙が広大であることがわかれば、地球も単に一つの星であることが分るという意味である。そして地球・火星の距離は

三千四百二十六万五千一百二十五里

と記している。一里を4kmとするとこれは1億3706万kmになる。実に「天文学的な距離」である。司馬江漢は宇宙の広大さを充分に認識していたと思われる。

また、凡例で「と天文学三道あり、一は星学(セイガク)、二は暦算学、三は窮理学なり」と記している。

この星学は占星術(Astrology)ことか?(明治の初めに南校で始まった「星学」は物理天文学であるが)、暦算学(Almanac),窮理学(Astronomy)の三分野を天文学の構成要素としている。ヨーロッパでも十七世紀後半まで占星術は払拭されない。

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