レオナルド・ダ・ヴィンチの三つの騎馬像

田中英道著「レオナルド・ダ・ヴィンチ」によればレオナルド・ダ・ヴィンチは未完も含め三つの騎馬像に関わっている。

(1)コレオーニの騎馬像

ヴェネツィアのカンポ・サン・ジョヴァンニ・エ・パオロ広場に現存する騎馬像である。画像はここで。直接の製作者はフィレンツェのヴェロッキオであったが騎士の厳しい表情や馬の首あたりの緊張感は当時ヴェロッキオの弟子であったレオナルドの影響が強く出ているといわれている。1480年ごろの作品で、馬は常歩の歩みをしている。

(2)スフォルツァ騎馬像

レオナルドがフィレンツェからミラノに移り、ミラノ公ロドヴィコの依頼により製作を試みた。騎馬像の馬の頭部から脚の先の長さが7.2メートルでしかも馬はレヴァードの姿勢(馬の両前肢を地上に上げて馬体を後肢のみで支える)をとっているというものである。青銅製でその鋳造に必要な青銅の重さは72.5トンという巨大なものであった。1490年ごろの試みである。レオナルドより依頼主が計画を断念してしまったという。強化プラスチックによる現代版「スフォルツァ騎馬像」。

(3)トリヴルツィオ騎馬像

1510年ころである。素描が残っている。その画像はここで。現存しないし製作したのかも不明。

 

ウマはホース(33):テネシー・ウォーカー

もう一つ北米のウマを紹介する。テネシー・ウォーカー(Tennessee Walker)である。画像はここ

「このウマに一度のれば、このウマを必ず欲しくなる」と言われている。19世紀に開発された北米産のウマで独特な歩様で走る。それらの歩様は「揺れがない」もので、普通の常歩(flat walk)、四節で速く走る常歩(running walk)(この四節の間に時々頭を下げ、歯を鳴らす)、そして,ロッキングチェアに座っているようなスムーズな駈歩(canter)である。最も穏当なウマであるといわれている。

後肢が馬体から大きく後ろに出ているのが体型上の特徴である。

ウマはホース(32):クォーター・ホース

北米のウマたちを紹介したい。最初はクォーター・ホース(Quarter Horse)、画像はここにある。

クォーター・ホースは全てが北米で開発された最初の品種である。世界でもっとも人気のあるウマであると主張されている。300万頭以上が全米クォーター・ホース協会に登録されている。

この品種の基礎は1611年ごろヴァージニア州に輸入された英国ウマとその前世紀に北米にもたらされたスペインウマの系統である。このウマは農作業、運搬作業、ウシの管理作業、馬車引き、そして騎乗用としてあらゆる作業に従事した。入植者たちは1マイルの4分の1の直線短距離でこのウマを使って競馬をした。これがこのウマの品種名クォーター・ホースの由来である。この品種は短距離では他の品種に負けない瞬発力を持っている(この特性はこのウマの後肢から臀部にかけての豊富な筋肉による。ここを強調してこのウマはよく後から写真を撮る。)

 

ウマはホース(31):カラバフ

これも黒海とカスピ海とに挟まれたコーカサス山脈の北側の山岳地方で、黒海に面したアゼルバジャンのカラバフ地方のウマである。

金褐色のカラバフは山岳地方のウマである。画像はここ

カラバフはそのスピードとコーカサス山脈の周辺で盛んなchavgan(ポロの形態)やsurpamakh(バスケット)といった騎乗球技における能力で注目されている。また様々な目的でも使われている。

カラバフ地方の在来種であったが、ペルシャ種、アハルテケ、カバルディンとの交配があった。その後競馬アラブ種の系統との交配が増加した。18世紀にはドンへの影響があった。競走馬の競技場でのテストはアゼルバジャンのバクーでおこなわれる。

速いことと俊敏なことに加えて、大変に穏当で、飼い易く、管理が容易そして度胸があると評判である。

 

ウマはホース(30):カバルディン

黒海とカスピ海とに挟まれたコーカサス山脈の北側の山岳地方のウマである。カバルダ人のウマという意味でこのウマはカバルディンと呼ばれている。画像はここ

多くの山岳ウマと同様に強健で敏捷であり、霧の中や夜道でも方向を見つける能力を持っている。

十六世紀にステップのウマとペルシャ系統との交配で誕生し、その以来国営牧場で改良がなされきている品種である。サラブレッドとの交配で誕生したアングロ・カバルディン種もあり、これは少し大柄で速いが本来の強靭性は保持している。

自然に具わった歩様も見つかっているが、長距離の走行おけるその持久力は注目される。主として乗用馬として活躍しているが、馬車の曳きウマとしても使われている。

 

ウマはホース(29):ドン

ロシアのウマを紹介する。今回はドン(Don)、画像はここ

このウマは伝統的にはコザック騎兵に係わってきた。今日では長距離の競技に使われていて、この品種の元品種よりずっと優秀である。ロシア革命後に品種改良が試みられたブジョンヌイ種に大きな影響を与えた。

この品種は強靭なモンゴル平原のウマと軽快で暑さに強いアハルテケやペルシャ・アラブ種との交配でできたものである。19世紀の初めには、サラブレッドや優秀なアラブ半血種との交配による改良がなされた。20世紀以降は僅かに外部の影響があるだけである。

ドンは強靭なウマで飼育しやすく凍結したドン平原で生存そる能力を持っている。適応能力があり従順であるが、身体的には魅力に欠けるところがある。優雅ともいえないし乗りやすいともいえないぎこちない動きに繋がる身体的な欠陥があるが、過酷な状況でも有効に働く資質を持っている。

 

ウマはホース(28):アハルテケ

今回はユーラシア大陸のユニークなウマを紹介する。名前はアハルテケ(AKHAL-TEKE)、カスピ海の東に位置するトルクメニスタン原産である。画像はここで。

アハルテケは世界で最も未知なウマで、ウマの原型の第三型の現代型である。薄い皮膚、細かな体毛そして暑さに強い砂漠ウマの特徴を持っていて、アラブ種の”Munaght”競走馬との関連もありえるとされている。3000年以上に亘り現在のトルクメニスタンの地域で生息していたことが分っている(トルクメニスタン共和国の国章にもアハルテケが描かれている)。

アハルテケはカラクム砂漠のオアシスの周辺で飼育されていて、その主産地はアシルバードである。このウマは他の品種の多くに影響を与えているが、他から影響はない。サラブレッドとの交配を試みたが成功しなかった。トルクメニスタンの人々はアハルテケを競馬に使う。そのようなウマの世話は大変である。アルファルファそしてヒツジの脂肪、卵、オオムギ、そして揚げたドーナッツからなるペレットを餌としてあげ、寒さや暑さの防御のためにフェルトで包んでやる。

アハルテケは西側の理想的なウマの体型を殆んどとっていないけれど、体型は独特である。メタリック金褐色の体色はこの品種の特徴である。アハルテケは底なしのスタミナと持久力を持っている。最低の食料と水で84日かけてアシルバードからモスクワまで4152kmを走破した。

ウマはホース(27):アラブ

今回はアラブ種を紹介したい。

アラブ種は世界中のウマの源泉であると考えられていて、サラブレッドの主たる基礎になった品種であることはよく知られている。画像はここで。

アラビア半島では少なくとも2000年前からアラブ種のウマたちによる競馬が行われていた。これは美術品の存在や「砂漠のウマ」と密接に関係したベドウィンの口承によって分っている。影響力の強いアラブ種の血は七世紀に起こったイスラムの侵攻によって広く拡がった。その結果、アラブ種は世界中のウマの発展に強く寄与することになった。

アラブ種は容姿は美しく一度みたら忘れ難いウマである。このユニークな外見は体型と基礎骨格の構造によって決まっている。通常のウマでは肋骨が18、腰椎が6、そして尾椎が18であるのに対して、アラブ種は17-5-16である。またこのことは尾の付け根の部分が下がらないで断崖絶壁のようになっている理由である(写真をみよ)。スタミナは抜群であり、動きは「浮いてる」ようにスムーズである。肺活量や肢からみた持久力や穏やかさ故にアラブ種は長距離やエンジュランス用のウマとして選択される。従兄弟になるサラブレッドほど速くはないが、アラブ種とアングロ・アラブ種に限定した単純競馬は世界中の多くのところで熱狂的に行われている。

5000年前から酪農?:東アジア草原地帯

今日の新聞記事のタイトルである。記事によれば、ドイツ・マックスプランク人類史研究所の国際研究グループの発見である。

研究グループは東アジアの草原地帯の一角であり、今も馬乳などの乳製品を沢山消費しているモンゴルで、古い時代の遺跡から見つかったヒトの歯の歯石の成分を解析した。

その結果、紀元前3000年ごろのアファナシェボ文化の遺跡から見つかった歯の歯石からウシやヒツジそしてヤギなど反芻動物の乳に含まれるタンパク質の成分が検出されたという。従来は紀元前1300年ごろと思われていたものである。

また馬乳のタンパク質の成分を含む歯石は紀元前1200年ごろと新しいこともわかった。

世界史的に見ると紀元前4000-3500年ごろはウクライナ周辺のポントス・カスピ海ステップでインド・ヨーロッパ祖語の原型を話し馬に乗る習慣を得た遊牧の人々がドナウ川河口周辺の古ヨーロッパに侵入した時期である。この人々の移動は東にも向かったはずで、東アジアの草原地帯に到達したのが紀元前3000年ごろということか?