アングロ・アラブ種「パオン」

昨日の馬場レッスンで乗った馬が「パオン」である。
アングロ・アラブ種でサラブレッドに比べてがっしりした体型で肢も太い。
Smithsonian Handbook”Horese”によれば、アングロ・アラブ種はアラブ種とそれを派生させたサラブレットの分家である。この馬は両方の馬の良い点を受け継いでいるにちがいない。このような掛け合わせはアラブ種の「大人しさ」と「スタミナ」を引き継ぎ、サラブレッドの「速さ」と「理解力」を直ぐに興奮する性質なしに受け継いた。
この馬の生産は英国で組織化され、ポー(Pau)、ポンパドゥール(Pompadour)、タルブ(Tarbes)、ヘロス(Gelos)などのフランス各地の大きな生産農場で150年に渡って組織的に生産され、その様式が完成したと言われている。英国でも優秀な馬が生産されたが、フランスへの影響はそれほどない。フランスでは1816年にアラブ種の二頭のオス馬と三頭のサラブレッドのメス馬との交配から生産が始まった。血統台帳への登録は最低でも25パーセントでアラブ種の血が入った馬で、両親がアラブ種、サラブレッド、またはアングロ・アラブ種である馬であることが確認されたものである。
アングロ・アラブ種の見かけはアラブ種よりサラブレッドである。アングロ・アラブがサラブレッドほど速くはないが、襲歩(gallop)ができる体型である。全体的にいってアングロ・アラブ種はアラブ種に比べ大きくがっちりしている。フランスではアングロ・アラブ種だけの特別な競馬もある。さらに国際的な規模で馬術等の競技に参加している。

 

支倉常長と乗馬

仙台市立博物館には支倉常長が当時のヨーロッパから持ち帰った品ものが展示されている。その全てが国宝である。昨日もその展示を見たが、招来されたものに馬具が多いのに気がついた。教会関連のものが多いのは当時の常長の関心事であったように、乗馬も常長の関心事であったのだろう。
常長が戦国時代の遺風のある時代に生きた武将でもあった証なのかもしれない。
馬具は
鞍(くら)(木製革張り)
鞍(くら)(木製)
鐙(あぶみ)(真鍮製)左右ー足置きが透かしになっている。鐙の側面に鋳出しの模様がある。
鐙(あぶみ)(鉄製)
轡(くつわ)(鉄製)2つ
四方手(しおで)
野沓(のぐつ)
である。
四方手(しおで)や野沓(のぐつ)は日本の乗馬用具名であるが当時のヨーロッパの鞍の部品なのであろう。。

古墳時代の「壷鐙」

滋賀県東近江市の蛭子田遺跡で、5世紀後半~6世紀前半(古墳時代後期)の木製のつぼ鐙が出土し、14日、同県文化財保護協会が発表した(河北新報7月14日)。
同協会は「木製つぼ鐙としては最古級。この地域が乗馬の文化をいち早く導入したことを示すとともに、初期の馬具を考える上で重要」としている。材質は針葉樹で、1本の木をくりぬいて作っていた。高さ20センチ、幅14センチ、奥行き16センチ。つま先に向かって左寄りになる形状から、右足用とみられる。表面は磨かれ、丁寧に仕上げられていた。地下約2メートルの川跡から出土。近くで見つかった須恵器から時期を特定した。

木製つぼ鐙
木製つぼ鐙


日本での鐙の歴史を見ると
日本の「鐙」は6世紀頃、中国、朝鮮半島から伝えられ、初期の原始的な「鐙」が数多く、各地の古墳から出土している。初期の「鐙」は、足を掛けるところが輪状になっている「輪鐙」と呼ばれる木製の物で、その後、木製の物に薄い鉄の板で補強した、木芯鉄張り「輪鐙」が登場し、6世紀末には「鐙」の先端部が壷を横にした形の「壷鐙」が登場する。平安時代になると「壷鐙」の足を乗せる部分が踵まで伸びた「舌長鐙」へと変化し、鎌倉から江戸時代末期まで、日本の「鐙」の主流をなした。この形は日本独特の形状で他ではみられない。平和な時代と共に、実戦用の物がすたれ、金銀象嵌、螺鈿、漆蒔絵の豪華な美術工芸品としても素晴らしい物が作られた。
と言われていて今回の「壷鐙」は壷を縦にしたような形で使うもので特異である。

馬の生物学定義

G.G.シンプソン著「馬と進化」(どうぶつ社)によれば、馬は
動物界(アニマリア)

脊索(コルダタ)動物門

哺乳(マンマリア)動物綱

奇蹄類目(ペリソダクチラ)

馬科(エクイデー)

馬属(エクウス)

馬(エクウス・カバルス)
となる。

「戦争に征った馬たち」

表題の「戦争に征った馬たち」(著者:森田敏彦)という著書があることを今日の新聞の書評欄で知った。馬とヒトの出会いは最初は食料としての馬だったと云われている。世界中の遺跡で馬を食料としていた証拠が見つかっている。その次が軍馬である。世界史的にみても、ローマ帝国から両世界大戦まで馬は戦場で「武器」として使われてきた。日本においても、鎌倉時代から太平洋戦争まで馬は戦争目的のために使われていた。
この著書はとくに日本の近代の日露戦争・日中戦争・アジア太平洋戦争で戦地に征った馬たちの運命を全国に残っている「軍馬碑」(全国で950基あるそうだ)を基に調べている。ぼう大な数の馬が「出征」していった。兵士は帰還した人もいたが、帰還した馬はゼロに近い。
軍馬、いわば「動物兵士」を消耗品とした近代の戦争の実相がある。これは「人兵士」の扱いにも通じるものである。

世界最長は6.7m

馬の尾は伸びる。足に纏わり付くので切るが、伸ばせば伸びる。伸ばした結果の世界最長記録はなんと6.7mである。アメリカ産のパロミノ(Palomino)種で名前はチヌーク(Chinook)という。

ギネス的馬:ブラバンドとファラベラ

馬には、こんなに重いのかという馬もあれば、こんなに小さいのかという馬もいる。今回はそんな馬を紹介する。題して「ギネス的馬」である。
まず、重量級は、「ブラバンド」(Brabant)。原産国がベルギーであるのでベルギー輓馬(ばんば)(Belgian draft)とも言われる。画像のように巨大な馬である、記録によれば1459kgもあったものもある。1トン以上もある馬である。もっぱらベルギーでは農作業に使われていた。体高は162~170cmと大きい。

Belgian draft
Belgian draft


超軽量級はファラベラ(Falabella)である。体高が40cm、体重は12kgと実に小さい。アルゼンチンのファラベラ家に由来するので、この名前がある。子供が馬に親しむのに丁度良い大きさである。

Falabella
Falabella


これらは、いずれもヒトの目的によった品種改良の結果であるが、馬から見ると迷惑なことかもしれないと、チラッと思った。

馬:世界最古の写真

世界最古の写真の一つに馬が写っている。
世界最古の写真は1827年7月にニセフォール・ニエプス(Joseph Nicephore Niepce)が撮影したフランスのサン・ルゥ・ド・ヴァレンヌ村にあった領地の実験室から眺めた「実験室からの眺め」という写真であるが、ほぼ同じ時にニエプスによって撮影された馬の写真がある。これは風景にある馬ではないが、ニエプスが版画作品を撮影したものである。


正確な日付ではこちらが古いが風景を撮影した「実験室からの眺め」が写真の最古にふさわしい作品のように思われる。露出時間が超長かったので朝日に照らされている壁と夕日に照らされている壁の両方が一枚の写真になっている。

歯槽間縁(しそうかんえん)

馬の歯並びの中で歯のない部分を「歯槽間縁」(しそうかんえん)といいますが、結構な隙間ですのでここにハミを咬ませます。馬の歯並びは
3133
前—-
3133
これは前歯3、犬歯1と続いて、「歯槽間縁」があり、臼歯が3,3と続くわけである。

歯槽間縁
歯槽間縁

この「歯槽間縁」は馬だけの特徴で、これを発見してハミを発明したのはヒッタイト人であると言われている。紀元前2000年ころのことである。だから今から4000年前のことである。4000年間の進化で「歯槽間縁」が生成されたとは考えにくい。
また、ヒトにハミを強制されたことがない「シマウマ」にも「歯槽間縁」はあるらしいので、この間縁はヒト以前の馬に具わった特徴だと考えられる。
一方、馬にとってこの「歯槽間縁」はどんな役割をしているのかは不明である。馬の顔が長くなったためか、単に要らなくなった歯の退化とも考えられる。事実牡馬にはあるが、牝馬には犬歯がない。これは退化だと思う。
ブタの歯並びが哺乳類の基本であるが馬と比べるとブタは
3143
前—-
3143
であるので馬の臼歯は一本少ないことになる。「歯槽間縁」は臼歯一本分より可成り広いし、ヒトなどもブタに比較すると臼歯が一本足らないが、「間縁」はない。

歌川国芳の馬

浮世絵師歌川国芳は渡辺崋山らの蘭学者との交流があり、西洋画の影響も指摘されている作品もある。以下は「近江の国の勇婦於兼」という浮世絵である。遠近法によるリアルな馬が描かれている。

「近江の国の勇婦於兼」
「近江の国の勇婦於兼」


江戸時代の「西洋画」としては、司馬江漢(しばこうかん)が知られているが、国芳にも西洋画の影響があるとは面白い。