三輪山と二上山

大和盆地の東と西に三輪山と二上山がある。これらの二つの山が万葉集などに頻繁に現れるわけを小川光三著「大和路散歩」で知った。
よくこの二つの山は春分や秋分の日における太陽の出没に関連させる指摘があるが、小川氏はこの二つ山は盆地で始まった稲作農業と関連があると指摘している。三輪山からの太陽の出現は田植えの目安になり、二上山に太陽が沈む時期は収穫の目安になったとうわけである。
この指摘は「春分」「秋分」は大陸から暦がもたらされた以降のことに対して、農耕と関連した自然歴はそれ以前に遡る歴史を持っているはずであることを意味してる。
本居宣長は「真歴考」のなかで日本の歴がもたらされる以前の自然歴の状態を想像して、特定の山々から太陽の出現を例としてあげているが、三輪山と二上山は正にその例である。

太白山と太白星

仙台市に太白山という小さいが特徴的な山がある。円錐形をした山である。命名の由来は不明であるが金星が落ちてできた山ということで太白山となったという伝説があるという。太白星は金星のことである。古代中国の占星術では金星は宮廷での大臣(太白)のしるしとされ、方位では西、季節は秋のシンボルとされた。さらに軍事を支配する星とされた。軍の勝敗はこの太白星の動きで予言できるとされた。金星の「金」は古代中国の陰陽五行説では「金属」の「金」で「金属」のひやりとした冷たい感触が太陽の沈む西に対応されることはら「金」と西とが繋がっている。
こうしてみると太白山は西に位置する山にその名前の由来があるかもしれない。なるほどこの山は仙台市の西端に位置している。

ハトの首振りと非対称歩行

ハトは歩行するとき首を前後に振る。この原因は歩行による移動により目にはいってくる景色を一定時間静止して置くためらしい。実験的にもこれは確かめられている(「ハトはなぜ首を振って歩くか」(藤田祐樹)。ところでこの首振りは走行の位相と同期していて二足歩行の一歩の間に一回でしかも走行の位相と同期している。
例えば前著者によれば
「ハトの左の肢が空中にあるときにハトは首を伸ばし始めてさらに伸ばし右肢は地面を踏み出すと首を縮め始め右肢が空中にあるときは、さらに首を縮める動作をし右肢が着地するところでそれをやめる。」
という。
面白いのはハトの二足走行は対称になっているが、この走行に首振りまで含めると非対称になっていることである。
馬も走行の際に首を振るが、走行が対称な常歩や速歩ではこの首振りも含めて対称になっている。
非対称走行は馬では駈歩があるが、これには右手前、左手前のモードがある。
ハトの首振り歩行にもモードがあるはずである。

ケルトの地上絵

ナスカの地上絵は有名であるが、ケルトにも地上絵がある。
これはイギリス・アッフィントンにあるケルト人が描いたと考えられている地上絵である。上空から見ないと何が描いてあるか分からないほど大きなもので

ケルトの地上絵
ケルトの地上絵

画像のように大きな白馬である。何の目的で書いたかは不明である。

一年のはじめ

一年のはじめは1月1日である。
この日を一年の何処に置くかは太陽暦であっても自由である。
調べてみるとこの問題は教皇グレゴリウス13世が招集でぃた「改暦委員会」(1570)まで遡る。一年の長さを太陽の回帰年に合わせる作業の過程で、春分の日をニカエア公会議当時に合わせることも提案された。ごの日は3月21日という日付にならなければならないとしたわけである。太陽が春分点にあるときが春分の日であるから、これで太陽の動きと暦の進行とが固定されたわけである。実際の暦の移行は1582年の10月4日(カエサル暦)の翌日が10月15日(グレゴリオ暦)となることでつじつまを合わせた。
現在では1月1日は太陽暦の進行に従って365(366)日後に再び出現するが、春分の日は3月21日であったり22日であったりと動く。

アインシュペンナー

アインシュペンナー(Einspaenner)は「一頭立ての馬車」の意味である。その馬車の御者がポイップクリーム入りの熱々のコーヒーをグラスに入れ、片手にそのグラスを、もう一方のは手綱をつかんで飲んだということに由来するコーヒーの飲み方である。

アインシュペンナー
アインシュペンナー

封〆申庚

「封〆申庚」はお札である。
庚申〆封の意味で縦にさかさまに貼る。
写真は宮城県村田町の蔵がたくさんならんでいる通りの一軒「まるしょう」の奥座敷の庭側に沢山貼られていたもの一部である。この蔵は幕末・明治・大正時代に建て増しでできたものの由、お札が貼られていたのは一番古い幕末の建物である。

封〆申庚
封〆申庚

このようなお札は通りを挟んで向かいにある分家にも沢山あった。

極限作業ロボット

今朝のニュースで4本肢の極限作業ロボット研究し新たな動きがあるとの報道があった。
この種のロボット研究では1983年から8年間の通商産業省の大型プロジェクトがあり、大きな進歩があったと評価されている(舘暲著“ロボット入門”)。しかし
「1980年代に原発内など人間が作業を行うには過酷な環境に適応する作業用ロボットの開発が進められていたが、電力会社や政府の圧力によってプロジェクトは潰された。
歴史にifはないのだが、当時に蓄積されていた技術を今日まで発展させていたならば、現在のようなお粗末な状況には成っていなかった。」
という評価もある。後者の評価はその通りである。
キャタビラや車輪でなく、4本肢のロボットだということが面白い。たぶん瓦礫などを乗り越えるにはそのほうが良いのかもしれない。理想は瓦礫を片付けながら前進するロボットであろう。

馬連(ばれん)

正月休みに天童市にある「広重美術館」に行ってみた。
最上藩の財政難の時期に広重に浮世絵を描いてもらいそれを債券の替わりに商人から金を借りたという話である。
今回の展示は百人一首と歌舞伎の場面を合わせた刷り物で歌舞伎の名場面に百人一首が添えられていた。これ自体が面白かったが、版画の制作過程のコーナにバレンがあった。それには漢字で「馬連」とあり、さては馬の何か似ていることに由来するものかなとおもった。
形が馬の蹄に似ていることから、それを何回も押しつけて印刷する意味から「馬連」だとか想像してみた。しかし、「馬連」は単なる当て字らしい。
因みに「馬連」は英語でもbarenである。