マキアヴェッリ語録(塩野七生著)

マキアヴェッリ語録(塩野七生著)という本がある(新潮文庫)。これはマキアヴェッリの著作の著者の眼識による抜粋である。その中の名言を少し紹介する。

*国家にとって法律をつくっておきながらその法律を守らないほど有害なことはない。とくに法律をつくった当の人々がそれを守らない場合は、文句なく最悪だ。

*歴史は、われわれの行為の導き手(マエストロ)である。だが、特に指導者にとっては師匠(マエストロ)である。

中国の人名にででくる「字(あざな)」について

映画「三国志」を見ていると登場人物の殆んどが字(あざな)を持っている。

諸葛 亮(しょかつ りょう)は字は孔明こうめい)、司馬 懿(しば い)は字を仲達(ちゅうたつ)といった具合である。

諸葛 亮のばあい諸葛(しょかつ)が姓で亮(りょう)が名であり、司馬 懿のばあい司馬(しば)が姓であり懿(い)が名である。

この名と字との機能の違いがあるように思える。

自分を表現するときには名を使う。例えば、孔明の有名な「出師の表」の出だしでは

「臣亮言う。先帝、創業未だ半ばならずして中道に崩殂す。….」となる。

一方人々がかれを呼ぶときには、「孔明」と字で呼ぶ。

また、面白いことに名は漢字一字であるのに対して、字は漢字二字である。時代は失念(たぶん後漢以前)したが、それまで使っていた漢字二字を名に使うことが禁じられ、漢字一字の名のみ使うことが許され、同姓同名が沢山に世のなかに出てしまい混乱したときがあった。もしかしたら、このような混乱を避けるために漢字二字の「字」を使い始め、それが習慣化したのかもしれない。

 

美術に表現された馬(4):Horse (Alexander Calder)

ワイヤーで馬を表現した。大変に印象的な立体像だ。画像はここで見られる。

“Horse Museum”の説明によれば

米国の芸術家、Alexander Calderは8歳のとき彼の妹の人形にためにワイヤーで飾りを作った。おとなになって批評家たちが「立体描画」と名づけた手法のワイヤーで肖像画や彫像を作成し始めた。かれの初期の作品はこの馬のように形象描写的で動かないものであった。最終的には彼は金属板やワイヤーから抽象的な作品を作るようになった。しかもそれは動く。最初はそれはモータによって動かされたが、最終的には自力で動くようなものであった。1931年Marcel Duchampはこの動的彫刻を「モビール」(”mobile”)と呼んだ。

一度は自分の部屋にこのモビールを掛けたことがないかな?それならばAlexander Calderにありがとうを言おう!

蹄脚硯と地方文化

蹄脚硯という面白い形をした硯がある。奇蹄類(多分馬)の蹄のかたちを模した硯である。画像はここで見られる。以前に平城京の発掘から出てきた蹄脚硯を本で見たが、先日仙台メディアテークで仙台周辺の遺跡の発掘にボランティアで参加した活動報告展示があり、そこにこの硯があった。奈良時代には地方でもこの種の硯が使われていたことを示している。

奈良時代は仏典の写経などで墨で文字を書くことが多かった。坪井清足著「平城京再現」によれば、平城京には写経所が何箇所もあり、経師と呼ばれる経を書き写す人、校生という校正する人など沢山の役人がいた。硯の需要も多かったと想像される。

聖武天皇のよる一切経の写経奉納といっても、実際に経典を書き写したのこれらの写経生であったわけだ。

美術に表現された馬(3):Axes (Susan Rothenberg)

米国の画家Susan Rothenbergは1970年代に馬を輪郭によって描く作品をシリーズで出した。こどものころ乗馬のレッスンを受けたが馬の愛好家だとは考えていない。若い画家であるとき現実の世界と物理的に繋がっているものを描きたいと思っていた。「馬は人々がやらない方法だが、人々の象徴であり、自画像である。」

彼女の作品はここで見られる。

4万4000年前の物語?

今朝の新聞の記事のタイトルである。

インドネシアのスラウッシ島にはさんご礁でできた洞窟が沢山あり、それらの洞窟の壁面には壁画が描かれたものがあることが1950年ごろより知られていてその数は242箇所にもわたっている。

壁画の描かれた年代は?

2014年にオーストラリアのグリフィス大学とインドネシアの国立考古学研究センターの研究者たちによる年代測定がなされた。4万年前近くに描かれた壁画もあるという驚くべき結果であった。

2017年に見つかった洞窟壁画ではさらに面白いことが見つかった。この洞窟はレアン・ブル・シポン4洞窟と名づけられたもので動物(2頭のスラウェシイボイノシシと4頭のスイギュウ)が描かれていたが、一頭のスイギュウの前には人らしきものが6人描かれていた。この人らしきものは「くちばし」や「尾」ようなものを持っていて当時の人々の想像力によって生まれた「獣人」だという。この壁画の年代測定もされて4万3900年~3万5100年と出た。

こんな古い時代から人類は想像力を働かして世界を見ていたのだ。

この洞窟の壁画の画像はここで見られる。

 

 

ハヤブサの見分ける速さ:人間の2倍以上

今朝の新聞によれば

スウェーデンのルンド大学の研究者たちはハヤブサの見分ける速さを測定し、そればヒトの二倍以上であることを見出した。

光源を点滅させる測定をする。ヒトでは毎秒50-60回以上の点滅であると、この光源は点滅ではなく常時点灯しているように感じる。これがヒトの限界である。だから映画は毎秒60コマの静止画を観客に見せて動画として感じさせている。ハヤブサの実験ではこの限界が毎秒120回の点滅以上にならないと常時点灯とは感じないという結果になった。

動体視力というものがある。ピッチャーの投げたボールが「止まって見える」という表現で動体視力が話題になるが、これは視覚の空間分解能と時間分解能による。空間分解能が同じであると時間分解能が高いと速いボールでもコマ切れ(静止画)のように見えるわけである。

ハヤブサは鳥などを捕獲するとき毎時300キロメートルもの速度で追跡するそうでこの動体視力が物を言うのである。

宋の太祖趙匡胤(ちょうきょういん)の「石刻遺訓」

小説十八史略」(陳舜臣)の中で著者は宋の太祖趙匡胤を大変に褒めている。

この趙匡胤は生粋の軍人であるが、国家の基本に文治主義を貫いたからだ。かれは子孫のため遺訓を石に刻み、禁中の最も奥の皇帝しか入れないところに置き、新帝が即位するとこの遺訓を読むことを重要な儀式とした。この遺訓は三百年も続いた宋王朝の基本姿勢となった。

この「石刻遺訓」には何が書かれていたのか?

一 宋に国を譲った後周王室柴(さい)氏を子々孫々にわたって面倒をみること。

ー 士太夫を言論を理由として殺してはならぬこと。

これが遺訓の内容であった。

第一の遺訓のお陰で三百年の宋王朝の期間柴氏は宋王朝の賓客の扱いを受けた。第二は「言論の自由」を保障したことである。