Enigma: The Rivers Of Belief

Enigmaを聴いている。あまり歌詞の内容を気にしないで聴いていたが、この”The Rivers of Belief”は気にして聴いてみた。

enigmaによるオフィシャルヴィデオはここにある。

歌詞は:

If you believe in light
It's because of obscurity
If you believe in joy
It's because of sadness
And if you believe in God
It's because of the devil
ここ部分はヘーゲルの弁証法の論法で「在」と「定在」の違いの説明のようで面白い。
Take me back
To the rivers of belief
Take me back
To the rivers of belief, my friend

ここの”Belief”は「信念」というより「信仰」の意味だと思う。

I look inside my heart
I look inside my soul
I promise you
I will return

ここは特に指摘することはない。

And when the Lamb opened the seventh seal
Silence covered the sky

ここは新約聖書「ヨハネの黙示録」からの引用である。聖書日本語訳(p.461)には

「小羊が第七の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた。」

Take me back
To the rivers of belief
Take me back<
To the rivers of belief, my friend

繰り返しである。

I look inside my heart
I look inside my soul
I'm reaching out for you
Let's hope one day
We'll rest in peace
On my rivers of belief

結論である。
こうしてみると信仰に戻ることで平安な日に戻れるとし、いつの日かそうなることを約束している。そんな内容である。曲の全体的な印象とかなり違った歌詞だなと思う。

騎座の三角形(triangle of the seat)

Alois Podhajskyの”The Complete Training of Horse and Rider”を読んでいたら上のような言葉に出会った。乗馬時の乗り手の騎座の在り方を解説したものである。

乗り手の座骨ー膝ー足の付け根を頂点とする三角形でこれが「騎座の三角形」である。乗り手はこの三角形が鞍の側面に過不足なく収まるような姿勢で乗ること説いている。

騎座の三角形(Horse and Riderより)

Kitty Gimmicks(子猫のたくらみ)

Kittens are like old comedians.
They always use the same shticks.
There’s the scaredy-kitten stance,
the vampy butt-in-the-air-move,
the you’re-so-boring-I-could-die glare,
the munster-under-the-sheetsattack,
and of course
the I’m-so-little-how-could-you-possibly-get-mad look.
The gimmicks work, so why change them?

Varda Miller,
The Big Book Of Catsより

子猫は老練な道化師に似ている。
かれらは何時も同じ持ち芸を繰り出す。
恐怖に慄いた仕草、
吸血オウモリのような空中飛行、
「死んでしまいそに退屈なあなた」のようないちべつ、
「シートの下にモンスターがいた」のような猛アタック、
もちろん、
「私は小さいの、そんなに怒らないで」のようなまなざしもある。
それらは全て有効だ。変える必要などないね。

タンポポも綿毛に

サクラが終わって散歩道にタンポポが咲き始めたと思っていたら、そのタンポポも綿毛になり始めた:

 

写真から綿毛の茎は花の茎より背が高いことがわかる。花が綿毛になると背が伸びる。

ウグイスに方言?

評定河原球場の近くの散歩道でよくウグイスの鳴き声を聴く。ある時特徴のある鳴き方をするウグイスの鳴き声をきいた。そこで気を付けてその一帯のウグイスの鳴き声を聴くようになった。面白いことにこの一帯(200mほどの堤防)では多くのウグイスがこの特徴ある鳴き方をしているようだ。

鳴き声を録音した(2024/04/14)

 

東北歴史博物館「大シルクロード展」

昨日は雨のなか多賀城の東北歴史博物館の「大シルクロード展を見に行ってきた。写真は出口」のところにあった大きなラクダの剥製(館内は撮影禁止)。面白かった。砂漠地帯なので保存状態がよく紀元前3世紀ごろのフェルトの靴はふける様子もない状態で展示されていた。トルファンのアスターナ古墓群からの出土品(裕福な家族の副葬品やローマ帝国の金貨)も沢山展示されていた。

Cosmos・Universeとしての「宇宙」

CosmosやUniverseの訳語としての「宇宙」がいつごろから使われはじめたのか考えてみた。

「宇宙」という漢字が存在したのはかなり古い時代からだ。広辞苑によれば「宇宙」の項で「淮南子の斉俗訓によれば、『宇』は天地四方、『宙』は古往今来の意。」とある。「宇宙」という漢字は中国古代で既に使われていたことになる。

一方ヨーロッパの学問に現代的なCosmosやUniverseが登場したはいつ頃のことだろうか?ジョルダーノ・ブルーノの「無限、宇宙及び諸世界について」の16世紀あたりだと思う。彼は宇宙の無限性を強く意識していて、思弁的ではあるが現代宇宙論につながるところがある。彼はコペルニクスの1世紀ばかり後の人である。

コペルニクスの地動説を我が国に紹介したのは志筑忠雄(しづきただお)の「暦象新書」であり、18世紀の終わりのころである。また地動説の普及に貢献した司馬江漢の「和蘭天説」がある。これは寛政8年(1796)の刊行である。そこに描かれている地動説の図には一番外側に「恒星天」が描かれている。

この「恒星天」がどこまで拡がっているのだろうか、と疑問を持った時に「宇宙」という言葉が出てくるように思われる。それは明治以降のことかもしれない。