ホタルの超音波はコウモリを撃退?

今朝の新聞の記事のタイトルである。

テルアビブ大学とベトナム科学技術アカデミーの研究者たちはコウモリの超音波を調べているときに偶然にもホタルが超音波を出していることを見つけた。その音源はホタルの羽の振動である由。

面白いことにはホタル自体は超音波を聞く能力がないのになぜ掉超音波を出しているかである。研究者たちはこの超音波はこれを聞くことができるコウモリへの警告信号ではないかと考えている。

考えてみると夜に光を発することは捕食者に自分の存在を知らせることになるが、ホタルにとってこの行為はどの様な利点があるのだろうか?「交尾の相手に気付いてもらうため」だろうか。

もう1つ面白いことはこの発光の点滅はホタルの集団で同期を採ってなされることである。

パノラマ風写真展:「組写真の世界」

パノラマ風写真展の第二弾。組写真の展示である。

  • 組写真は別フーレムのギャラリーとして表示するようにした。その際余計なリンクが表示されないようにした
  • 写真に繋がるホットスポットを

で示し、それと分るような画像にした。

数学や物理学は男性的イメージ:ジェンダー不平等が影響

今朝の新聞のコラム欄の記事のタイトルである。

東京大学の横山広美教授たちの研究グループは数学や物理学にまつわる男性的なイメージの要因を探るため日本人1177人と英国イングランドの1082人を対象にアンケート調査を行った。

その結果、①数学や物理学を学んだ後の職業が男性向きだと思うひとほど、②女性は男性に比べて数学的能力が低いと思う人ほど、③数学や物理学の進学する人は一般的に頭が良いと思う人ほど、数学や物理学は男性的と見なす傾向が強いことが分ったという。

この傾向の背景には女性が知的であることに否定的なジェンダー不平等が根強くあると研究者たちは指摘し、「理系に女性が少ない問題は単なる個人の選択の問題ではなく、社会の問題であることを示している」とコメントしている。

筆者はこの記事を読んで、この問題にはジェンダー不平等の問題と数学や物理学を含む自然科学と人文科学との間にある不平等の問題とが絡まってあるように思えた。

初午:国分町馬市にぎわう

今朝の河北新報の「故事祭菜」(菅野正道さん)の記事のタイトルである。

かつて仙台藩領は日本屈指の馬産地だった。

仙台城下で馬市が開かれた場所が城下の中心に位置する国分町だった。江戸中期の資料では毎年3月上旬から4月中旬まで行われたという記録がある。国分町は元々仙台城の東に位置する国分寺の門前町だったものを政宗が城下内に移してきた町人町だった由。馬市は国分寺門前町の時代から開かれていたが、城下に移っても継続された。

馬市当時の国分町も今の国分町も東北随一の人の集まる場所で多くの金が動くところが共通だ。

それにしても現在の国分町に馬市の面影が残ってるのだろうか?国分寺門前町には今の木ノ下駒という民芸品が残っている。

The Book of Bread:二十世紀初頭の写真の役割

“The Photobook: A History”(Martin Parr and Gerry Badger)によれば二十世紀初頭では事実を丁寧に記録する媒体として写真が大きな役割を果たした。その一例は”The Book of Bread”である。1903年刊行の本である。

この本は工場でのパン生産技術を詳述した技術書で著者はOwen Simmonsである。多くの写真が挿入されているが、撮影者の氏名は触れられていない。

掲載されている写真の例:

写真1

写真2

 

 

奈良:「幻のヤマトの道」

天理市の近くに都祁(つげ)という地名のところがある。この地名の村では弥生時代後期前後の遺物が数多く出土するという。「大和路散歩」のなかではこの都祁(つげ)を含む道を「幻のヤマトの道」として紹介している。

筆者が興味をもった点は、この地がその後の大和権力の発祥の地かもしれないという点だ。大和権力は大和盆地を基盤としてるがこの地は大和盆地の縁にあたる土地であり、弥生時代後期では人口密集地であったからだ。この中から部族長的な存在が成長し大和権力へと成長したのかもしれない。

この都祁の近くに白石の国津神社がある。この神社の東側に豊かな田園を挟んで二つの峯をもつ野野上(ののかみ)岳がある。向かって右にある峯が雄ヶ岳、左が雌ヶ岳で、この二つの峯の中間(これは二つの峯の間の鞍部のように見える)に向かって田園の中に四ヶ所の叢林がある。これをやすんばという。画像はここ

白石の国津神社から見て朝日が峯の中間から出現する時期がこの里で稲の播種の時期であるという。これが面白い。これは大陸から暦がもたらされるずっと以前から日本にあった自然暦の伝統である。このような自然暦は日本の各地に残っているが、この都祁の例は稲作が始まった当初からあったもののように思える。

 

奈良:「石仏の道」

このブログでも奈良にある巨石遺構を話題にした(飛鳥道の巨石文化)。奈良には石仏も多い。「大和路散歩」では頭塔(ずとう)から東に向かい柳生街道を進み円成寺にいたる道を「石仏の道」として紹介している。確かにこの道は石仏が多い。

主なものを挙げると

  • 頭塔の石仏:塔(方形土壇)のまわりに十三個の自然石がありそこに仏菩薩などが薄肉彫で刻まれている。
  • 寝仏:柳生街道の旧道である滝坂道にある。
  • 夕日観音:「その表情笑ふか如く、また泣くがごとし」(会津八一)
  • 朝日観音:弥勒仏で鎌倉中期の文永二年(1265)の作。
  • 春日山石窟仏:東西二窟に金剛界と胎蔵界の諸仏を彫出している。平安末期の作。
  • 地獄谷石窟仏:線刻されたもの。平安時代の作。彩色は昭和。

以上と多彩である。この道には新薬師寺(十二神将像)や円成寺(大日如来像)といった興味ある仏像が見られる道でもある。

 

飛鳥道の巨石文化

大和路散歩という本を眺めていたら、飛鳥道に沿って大きな石による遺構が沢山あることに興味を持った。

飛鳥が日本の支配者たちの都であったのは紀元六世紀ごろのことであるが石の遺構も同時代のものなのであろう。

  • 石舞台古墳:70トンもある巨石が石組みの上に載っている。これはアイルランドのプルーナブローンを彷彿させる。こちらは紀元前3000年あたりの年代であるが。
  • 益田岩船:800トンもある巨石で、しかも方形の穴が二つあいている。
  • 亀石:亀の形に加工された巨石。
  • 吉備姫王墓の猿石:平田村池田という場所の田んぼから掘り出されて古墳の南側に置かれていた。
  • 酒船石:長さ6メートルもある石で、表面に奇妙な模様が彫られている。
  • 橘寺の二面石:ユーモラスな表情が二面に彫られている。

など飛鳥路は石の文化としても面白い。