デンマークの最古のウマであるフレデリックスボルグ(Frederiksborg)を取り上げる。画像はここ。
十六世紀においてはデンマークはヨーロッパにおける華麗な乗用馬や騎兵の専用馬の主な供給源であった。それらのウマはフレデリックスボルグと呼ばれ1562年にフレデリックス二世によって設立された牧場で生産された。白馬でリピッツァナーにその名の系列の基礎になったプルート(Pluto)は1765年に王立デンマーク牧場で誕生したフレデリックスボルグであった。
デンマークの最古のウマであるフレデリックスボルグ(Frederiksborg)を取り上げる。画像はここ。
十六世紀においてはデンマークはヨーロッパにおける華麗な乗用馬や騎兵の専用馬の主な供給源であった。それらのウマはフレデリックスボルグと呼ばれ1562年にフレデリックス二世によって設立された牧場で生産された。白馬でリピッツァナーにその名の系列の基礎になったプルート(Pluto)は1765年に王立デンマーク牧場で誕生したフレデリックスボルグであった。
今朝の河北新報に「放牧馬草原育む」という記事があった。
八幡平市の市民団体「ふるさと倶楽部」が放牧馬と一緒に草原の復元に取り組んでいる。安比高原で農耕馬を放牧しその目的は草原の復元にあるという記事である。
今年は岩手県内外から7頭の農耕馬が集まり、10月まで放牧をする。馬はササやススキを食べ、その他の植物を人の手で刈り取りことによって、森林化が進む草原を野シバやレンゲツツジの咲く草原に帰るという計画である。
今回はフィンランド・ホース(Finnish Horse)を取り上げる。画像はここ。
嘗てはフィンランド・ホースは二系統あった。一つは重量級のフィンランド・ホース(Finnish Draft)でもう一つはそれより軽量な万能フィンランド・ホース(Finnish Universal)で、双方とも見かけより能力重視で繁殖が行われた。その重量級は見かけは一様にがっしりとして強靭であるが、動作は機敏で、軽快な速歩で走る。軽い方は騎乗できるが、軽量な馬車引きに使われてきたが、より重要なものとして繋駕(けいが)競走用の用途がある。1970年代以降軽量級の万能フィンランド・ホースに重点が移ってきた。
今回のホースはノルウェーのデール・グドブランスダール(Dole Gudbrandsdal)。画像はここ。
ノルウェーの馬の半数近くを占めるデール・グドブランスダールはBritish DalesやFellポニーに似ている。これらの全ての品種は先史時代の同一の元品種から派生したものである。
この馬の原産地はグドブランスダール渓谷であり、荷駄や農業で使われてきた。この馬は速歩でのスピードで注目されていた。重い重量級の馬が温存されてきたが、より軽いDole Trotterが曳き馬競技のために開発された。1834年に導入されたサラブレッドの牡馬Odinの影響がこの軽品種には大きい。
ホースの初めは現生のウマの祖先と考えられているプルジェヴァリスキー(przewasky)・ホースを取り上げる。
現生のウマの全ては氷河期を生き抜いた四系統の祖先ウマの後裔である。それらは「ターパン」、「ツンドラウマ」「森林ウマ」そして「プルジェヴァリスキー・ウマ」であるが、これらの祖先ウマで現生しているものは「「プルジェヴァリスキー・ウマ」のみである。
このウマの名前はこのウマの群れを1881年にモンゴルで発見したポーランドの探検家ニコライ・ミハイロヴィチ・プルジェヴァリスキーに因んで付けられた。そこはゴミ砂漠の縁にあたるTachin Schah山脈(黄色い馬の山脈)の地域であった。
プルジェヴァリスキー・ウマは気性が荒く、野生的でそして独特なウマであり、家畜化されたウマでは持っていない特性を持っている。例えば家畜ウマの染色体は64本に対してプルジェヴァリスキー・ウマは66本である。たてがみは垂直に立ってり、毛並みは肢は黒いが体色は灰色である。
画像はここ。
アロイス・ポジャイスキー(Alois Podhajsky)はスペイン乗馬学校の所長をも勤めた高名な乗馬家である。著書には
がある。「わが馬、わが師」(My Horses, My Teachers)が面白い。
「はじめに」の出だしはこうだ:
友人やホースマンの勧めもあって、独自なスタイルで易しく理解でき、しかもその気になれば実践にも役立つ乗馬の教則を纏めてみようと決心した。その教則は学問的でもなく、厳密に組織立ったものでもない。従ってこれから乗馬の教則を教える人たち(勿論彼らは馬と違って言葉を使って)にとっては、ここでのアプローチはあまり印象深くはないかもしれない。つまり、ここでは私が出会った馬たちの話をしたいのだ。私の長い人生経験で出会った馬たちが私に教えてくれたことを話したいのである。そしてこの馬たちを私の最も誠実なインストラクタとして読者に紹介したいということである。
ウマの家畜化が何時ごろ起きたのか?
前回は先史時代の遺跡から発掘されたウマの骨の統計的な特性から家畜化された時期を推定した例を紹介した。この方法は特性の解釈に曖昧さがあり信頼が薄い。
ウマの歯にハミによる磨耗痕の有無を調べウマに騎乗すると習慣が始まった時期を特定しようとする研究がある。ウマへの騎乗する習慣はウマの性格をよく観察できる環境が必要でウマの家畜化があって初めて可能であろう。この意味でウマに騎乗する習慣とウマの家畜化は緊密に関係していると思われる。
金属のハミであり、ロープや革のハミであれ、ハミはウマの歯に磨耗痕を残す。ウマの下顎の前臼歯の第二歯(この歯はウマの口角の位置に対応すると思う)にその痕跡が残る。
現生のウマで実験をしてみる。全くハミをした経験がないウマの下顎の前臼歯の第二歯とハミを日常的にしているウマのそれを比較する。
上図は現生ウマたちの下顎の前臼歯の第二歯上のハミによる磨耗痕があるばあいと無いばあいの前臼歯の第二歯。写真は走査電子顕微鏡(SEM)で見たもの。
左:金属ハミ噛んでいた家畜ウマの第一歯尖上の「a型」磨耗痕を13倍の倍率でみたSEM画像。歯の半面像は同じ歯尖に3.5mmの斜面または摩滅面があることを示している。
右:ハミを噛んだことがないネヴァダの野生ウマの第一歯尖の平らな面を15倍の倍率でみたSEM画像。歯の半面像は斜面のない90度を示している。
ポニーの最終回はファラベラ(Falabella)。これはポニーというよりミニチュア・ホースである。画像はここ。
小型ウマの誕生の自然的な理由は環境であり、乏しい食料とともに厳しい自然条件である。しかしミニチュア・ホースまたは非常に巨大なウマを意図的に創ることも可能である。ミニチュア・ホースはペットとしてまた希少価値があるものとして歴史を通じて育成されてきた。そのよい例がこのファラベラである。
ファラベラはブエノスアイレ(アルゼンチン)の郊外にあるRecreo de Roca牧場でこの品種の改良をしたファラベラ家に由来する。かれらは最小のシェトランドと極小型のサラブレットを交配し、つまり意図的に最小の動物を交配し、近親交配を繰り返した。その目的はほぼ完全な姿でウマのミニチュアを創ることであった。しかし近親交配は体型上の欠陥や活力の喪失を招いた。
今日(2019/05/18)の河北新報の朝刊に子馬「きなこ」の誕生の記事が載った。仙台・海岸公園の乗馬クラブの乗馬場は2011/3/11の大震災の際の津波で流失し、その際に19頭のウマが犠牲になった。この4月には再建された乗馬場がオープンしたばかり。そこの「おもち」という葦毛の牝ウマに牡の子馬が誕生した。命名された名前が「きなこ」。葦毛に栗毛がパッチ状に入っているので「きなこ」。
画像はここ。
今回のポニーはメキシコのガリチェーノ(Galiceno)。画像はここ。
メキシコのガリチェーノはアメリカ大陸におけるスペインの遺物の一例である。1950年代以降ガリチェーノは米国に向かって北上し1958年には正式に一品種として認定された。ガリチェーノはポニーからホースへ騎乗するウマを換える時期にある年少の騎乗者の「移行期」のウマとして理想的である。
ガリチェーノは北西スペインのガリシア(Galicia)で組織的な飼育が始まり、その地名が品種名になった。ヨーロッパ中でガリチェーノは最初からこの歩様が滑らかなことで有名だった。現生ガリチェーノも速い競歩常歩が特徴的でエリザベス朝イングランドで名声を取った。この小柄なウマの祖先は16世紀にインド亜大陸の西からスペイン人によってもたらされたと思われる、一方これらはイベリア半島の在来種であるソーライアやガラーノの後裔であるらしくも思える。
タフで頑強なガリチェーノは扱いやすく、知能的で万能向きのウマであると言われている。このウマの持ち前の俊敏さやスピードは牧場や競技会のポニーとしての人気を保証している。さらに牽引用や日常の交通手段として用いられている。