ウマはホース(5):クナブストラッパー

今回はデンマークの斑点の体毛を持つクナブストラッパー(Knabstruper)を取り上げる。画像はここ

このブログでも紹介したが約三万年前にクロマニョン人が洞窟に描いた斑点の体毛を持つ馬は実在したわけだが、斑点を持つ馬は古代世界で頻繁に現れた。しかし、ここで取り上げるデンマークのクナブストラッパーは、1808年のスペイン牝馬を基礎に生産が始まった、極最近のものである。斑点を持った馬の系統は19世紀に入りスペイン馬でよく現れた。

クナブストラッパーの基礎になった牝馬はFlabehoppenという名前のスペインの牝馬であった。この馬はデンマークの判事Lunnによって食肉業者のFlabeという人物から買い取られたものであった。Lunnはこのウマからフレデリックスボルグの一つの系統を育てた。このウマは孫のMikkelを主として通じて斑点のあるウマの系統の基礎になった。

古いクナブストラッパーはがさがさした骨ばったウマであった。体色に対する軽率な生産方針の結果欠陥を持つようになったしまい現在は殆んど存在しない。新らしい型のクナブストラッパーはアパルーサに似ていて、身体的な特徴から特別なウマであるが、ずっと幅の広い体色を持っている。

 

 

 

リピッツァナーPluto Presciana II, Pluto Theodorosta

アロイス ポジャイスキー:「わが馬、わが師」の中でPluto系のリピッツァナーが二頭登場する。それらはPluto Presciana II, Pluto Theodorostaの二頭の牡馬である。

オーストリアのリピッツァナーの名前は規則がある。

牡馬:まず父親の系統がくる。この二頭では二頭ともPluto系統の父親である。次に母親の名前がくる。PrescianaとTheodorostaである。

同じ名前になったときは世代番号を振る。

牝馬:母方の系統を辿って五世代前の牝馬の名前をそのまま引き継ぐ。典型的な名前が繰り返し使われることになる。

ウマはホース(4):フレデリックスボルグ

デンマークの最古のウマであるフレデリックスボルグ(Frederiksborg)を取り上げる。画像はここ

十六世紀においてはデンマークはヨーロッパにおける華麗な乗用馬や騎兵の専用馬の主な供給源であった。それらのウマはフレデリックスボルグと呼ばれ1562年にフレデリックス二世によって設立された牧場で生産された。白馬でリピッツァナーにその名の系列の基礎になったプルート(Pluto)は1765年に王立デンマーク牧場で誕生したフレデリックスボルグであった。

 

放牧馬草原育む

今朝の河北新報に「放牧馬草原育む」という記事があった。

八幡平市の市民団体「ふるさと倶楽部」が放牧馬と一緒に草原の復元に取り組んでいる。安比高原で農耕馬を放牧しその目的は草原の復元にあるという記事である。

今年は岩手県内外から7頭の農耕馬が集まり、10月まで放牧をする。馬はササやススキを食べ、その他の植物を人の手で刈り取りことによって、森林化が進む草原を野シバやレンゲツツジの咲く草原に帰るという計画である。

ウマはホース(3):フィンランド・ホース

今回はフィンランド・ホース(Finnish Horse)を取り上げる。画像はここ

嘗てはフィンランド・ホースは二系統あった。一つは重量級のフィンランド・ホース(Finnish Draft)でもう一つはそれより軽量な万能フィンランド・ホース(Finnish Universal)で、双方とも見かけより能力重視で繁殖が行われた。その重量級は見かけは一様にがっしりとして強靭であるが、動作は機敏で、軽快な速歩で走る。軽い方は騎乗できるが、軽量な馬車引きに使われてきたが、より重要なものとして繋駕(けいが)競走用の用途がある。1970年代以降軽量級の万能フィンランド・ホースに重点が移ってきた。

 

ウマはホース(2):デール・グドブランスダール

今回のホースはノルウェーのデール・グドブランスダール(Dole Gudbrandsdal)。画像はここ

ノルウェーの馬の半数近くを占めるデール・グドブランスダールはBritish DalesやFellポニーに似ている。これらの全ての品種は先史時代の同一の元品種から派生したものである。

この馬の原産地はグドブランスダール渓谷であり、荷駄や農業で使われてきた。この馬は速歩でのスピードで注目されていた。重い重量級の馬が温存されてきたが、より軽いDole Trotterが曳き馬競技のために開発された。1834年に導入されたサラブレッドの牡馬Odinの影響がこの軽品種には大きい。

ウマはホース(1):プルジェヴァリスキー・ホース

ホースの初めは現生のウマの祖先と考えられているプルジェヴァリスキー(przewasky)・ホースを取り上げる。

現生のウマの全ては氷河期を生き抜いた四系統の祖先ウマの後裔である。それらは「ターパン」、「ツンドラウマ」「森林ウマ」そして「プルジェヴァリスキー・ウマ」であるが、これらの祖先ウマで現生しているものは「「プルジェヴァリスキー・ウマ」のみである。

このウマの名前はこのウマの群れを1881年にモンゴルで発見したポーランドの探検家ニコライ・ミハイロヴィチ・プルジェヴァリスキーに因んで付けられた。そこはゴミ砂漠の縁にあたるTachin Schah山脈(黄色い馬の山脈)の地域であった。

プルジェヴァリスキー・ウマは気性が荒く、野生的でそして独特なウマであり、家畜化されたウマでは持っていない特性を持っている。例えば家畜ウマの染色体は64本に対してプルジェヴァリスキー・ウマは66本である。たてがみは垂直に立ってり、毛並みは肢は黒いが体色は灰色である。

画像はここ

 

「わが馬、わが師」(アロイス・ポジャイスキー著)

アロイス・ポジャイスキー(Alois Podhajsky)はスペイン乗馬学校の所長をも勤めた高名な乗馬家である。著書には

  • My Dancing White Horses
  • The Complete Training of Horse and Rider
  • My Horses, My Teachers

がある。「わが馬、わが師」(My Horses, My Teachers)が面白い。

「はじめに」の出だしはこうだ:

友人やホースマンの勧めもあって、独自なスタイルで易しく理解でき、しかもその気になれば実践にも役立つ乗馬の教則を纏めてみようと決心した。その教則は学問的でもなく、厳密に組織立ったものでもない。従ってこれから乗馬の教則を教える人たち(勿論彼らは馬と違って言葉を使って)にとっては、ここでのアプローチはあまり印象深くはないかもしれない。つまり、ここでは私が出会った馬たちの話をしたいのだ。私の長い人生経験で出会った馬たちが私に教えてくれたことを話したいのである。そしてこの馬たちを私の最も誠実なインストラクタとして読者に紹介したいということである。

ウマの家畜化は幸運の産物?(5)

ウマの家畜化が何時ごろ起きたのか?

前回は先史時代の遺跡から発掘されたウマの骨の統計的な特性から家畜化された時期を推定した例を紹介した。この方法は特性の解釈に曖昧さがあり信頼が薄い。

ウマの歯にハミによる磨耗痕の有無を調べウマに騎乗すると習慣が始まった時期を特定しようとする研究がある。ウマへの騎乗する習慣はウマの性格をよく観察できる環境が必要でウマの家畜化があって初めて可能であろう。この意味でウマに騎乗する習慣とウマの家畜化は緊密に関係していると思われる。

金属のハミであり、ロープや革のハミであれ、ハミはウマの歯に磨耗痕を残す。ウマの下顎の前臼歯の第二歯(この歯はウマの口角の位置に対応すると思う)にその痕跡が残る。

現生のウマで実験をしてみる。全くハミをした経験がないウマの下顎の前臼歯の第二歯とハミを日常的にしているウマのそれを比較する。

ウマの下顎の前臼歯の第二歯
ウマの下顎の前臼歯の第二歯

上図は現生ウマたちの下顎の前臼歯の第二歯上のハミによる磨耗痕があるばあいと無いばあいの前臼歯の第二歯。写真は走査電子顕微鏡(SEM)で見たもの。
左:金属ハミ噛んでいた家畜ウマの第一歯尖上の「a型」磨耗痕を13倍の倍率でみたSEM画像。歯の半面像は同じ歯尖に3.5mmの斜面または摩滅面があることを示している。
右:ハミを噛んだことがないネヴァダの野生ウマの第一歯尖の平らな面を15倍の倍率でみたSEM画像。歯の半面像は斜面のない90度を示している。

 

多様なポニーたち(14):ファラベラ

ポニーの最終回はファラベラ(Falabella)。これはポニーというよりミニチュア・ホースである。画像はここ

小型ウマの誕生の自然的な理由は環境であり、乏しい食料とともに厳しい自然条件である。しかしミニチュア・ホースまたは非常に巨大なウマを意図的に創ることも可能である。ミニチュア・ホースはペットとしてまた希少価値があるものとして歴史を通じて育成されてきた。そのよい例がこのファラベラである。

ファラベラはブエノスアイレ(アルゼンチン)の郊外にあるRecreo de Roca牧場でこの品種の改良をしたファラベラ家に由来する。かれらは最小のシェトランドと極小型のサラブレットを交配し、つまり意図的に最小の動物を交配し、近親交配を繰り返した。その目的はほぼ完全な姿でウマのミニチュアを創ることであった。しかし近親交配は体型上の欠陥や活力の喪失を招いた。