昨日(26日)は仙台には季節外れの雪が降った。これで今年の雪も終わりかな?


CosmosやUniverseの訳語としての「宇宙」がいつごろから使われはじめたのか考えてみた。
「宇宙」という漢字が存在したのはかなり古い時代からだ。広辞苑によれば「宇宙」の項で「淮南子の斉俗訓によれば、『宇』は天地四方、『宙』は古往今来の意。」とある。「宇宙」という漢字は中国古代で既に使われていたことになる。
一方ヨーロッパの学問に現代的なCosmosやUniverseが登場したはいつ頃のことだろうか?ジョルダーノ・ブルーノの「無限、宇宙及び諸世界について」の16世紀あたりだと思う。彼は宇宙の無限性を強く意識していて、思弁的ではあるが現代宇宙論につながるところがある。彼はコペルニクスの1世紀ばかり後の人である。
コペルニクスの地動説を我が国に紹介したのは志筑忠雄(しづきただお)の「暦象新書」であり、18世紀の終わりのころである。また地動説の普及に貢献した司馬江漢の「和蘭天説」がある。これは寛政8年(1796)の刊行である。そこに描かれている地動説の図には一番外側に「恒星天」が描かれている。
この「恒星天」がどこまで拡がっているのだろうか、と疑問を持った時に「宇宙」という言葉が出てくるように思われる。それは明治以降のことかもしれない。
片平市民センターの「臥竜梅」が綺麗に咲いていた。
この臥竜梅は伊達政宗が朝鮮から持ってきたという。
この梅は普通の梅より大型の花を付ける。
アファナシェヴォ文化は西紀元前3000年ごろアルタイ山脈の南部分の西側で起きた文化である。このアファナシェヴォ文化はユーラシア大陸全体を覆うようなヤムナヤ文化の地方版であった。
ヤムナヤ文化はヴォルガ・ドン川下流域のステップで始まったがヤムナヤの人々は「ウマ」と「ワゴン」を使って3000kmも離れたアルタイ山脈の西側麓まで移住しアファナシェヴォ文化をうち立てた。ヤムナヤの人々のこの活動性がインド・ヨーロッパ語族の誕生に繋がったとされている。アファナシェヴォ文化はインド・ヨーロッパ語族のトカラ語派の故地である。
「シルクロード 1万5000キロを往く」(今村遼平ら編著)で天山北路として著者たちが旅したところのウルムチ(烏魯木斉)より北はこのアファナシェヴォ文化にすっぽりと覆われていたところである。文明の黎明期からずっと続いてきた歴史を感ずる。
ペルシアの「カナート」はカナート:古代ペルシアにおける伝統的な水利として以前触れた。同じような水利システムが吐魯蕃にある。こちらの方は「カレーズ」と言い、「シルクロード 1万5000キロを往く」(今村遼平ら編著)で詳しく紹介されている。
吐魯蕃は天山山脈南東にあり著しい乾燥地帯であるがこの山脈からの豊富な水が伏流水として流れている。この地下を流れる水を独特の地下水路で飲料水、農業用灌漑水として供給するシステムが「カレーズ」である。地下水路は所々に垂直の竪坑があり地上と繋がっている。この様子はペルシアの「カナート」と全く同じである。
ペルシアの「カナート」は西紀元前700年ごろに始まったとされているから吐魯蕃の「カレーズ」より古いと思われるが、シルクロード上の技術の伝播の一例として面白い話である。
久しぶりの「弥縫録」(陳舜臣著)からの話題である。左が付く二字熟語である。
最初は左袒(さたん)。これは熟語というより歴史の上で語られた言葉である。袒は着物の肩を脱ぐこと。左袒は賛成を表わすために着物の左肩を脱ぐことである。
左翼は左側に急進派が座っていたことに由来する。
左遷が面白い。左遷は地位の降格の意味で現在でも使われているが、なぜ「左」かが問題。ひな祭りのひな壇にいる「左大臣」と「右大臣」とでは「左大臣」のほうが地位が高い。中国文化では一般に左が右より上位。しかし「弥縫録」によれば左遷という言葉が定着したころはこれが逆転していたそうだ。
Simon & Garfunkelに”April come she will”という曲がある。気に入っている曲の1つである。歌詞は以下のよう:
April, come she will,
When streams are ripe and swelled with rain;
May, she will stay,
Resting in my arms again
June, she’ll change her tune,
In restless walks she’ll prowl the night;
July, she will fly
And give no warning to her flight.
August, die she must,
The autumn winds blow chilly and cold;
September I’ll remember.
A love once new has now grown old
韻を踏んでいるところもあり、かなり詩的な歌詞である。このSimonの歌詞もよいがGarfunkelの声の質がこの曲にぴったりである。
Garfunkelの若い時の歌声はここにある。Garfunkelは声が出なくなってしまったが、最近カンバックして歌を歌っている。80歳を越えているが。その動画はここで見られる。
ところでこの曲を最初に聴いたときにはSimonはツバメに託してこの曲を書いたのではないかとおもった。四月に現れて九月には飛び去ってしまうわけで、これはツバメだなとと思った。多くのツバメはno warningで飛び立つことはしない。その春に生まれた若鳥を連れて巣の近くに来て別れの挨拶をして行く。そこは違うかな。