引退した馬たちが暮らす北海道新冠町(しんかんちょう)の牧場「ノーザンレイク」。そこの馬たちとネコ(オス)(名前はメト)の日常を捉えた写真集(佐々木祥恵著)(辰巳出版)
写真の一例はここ。
日本の古墳時代の鉄製の鏃がどのようなものか知りたいとおもい調べた。
「鉄から読む日本の歴史」(窪田蔵郎著)の中に大阪府黄金塚出土の鉄製の鏃の写真を見つけた(p.71)。総じて青銅製のものと比較すると実用的で鋭いものになっているという解説があった。その写真を見ると茎(柄)が一体として鋳造されたものもある。しかしこの茎が空洞であるものはないように見える。「考古学基礎講座ー古墳時代の鉄鏃ー」には古墳から出土した鉄鏃の系統分類がまとめられているが茎(柄)のあるものが多いが、その茎が空洞であるものはない。
茎(柄)を空洞にすることによって強力な矢を作れるはずであるが、技術的に難しかぅたのか、普及しなかったようである。
乗馬の習慣は紀元前3000年ごろから始まるがこれはヒツジ(ヤギ)やウシそしてウマの遊牧農業を効率よく管理するためのものものであった。部族間の衝突にもウマに乗った戦士が登場する機会があったかもしれないがそんなに組織だったものではなかった。
一方スキタイなど紀元前1000年ごろおきた騎馬民族は騎兵による軍隊組織を持っていた。自らは生産組織をもたず、この軍隊組織による略奪によって大きくなっていった。言わば寄生国家であった。
この間に乗馬に関して何がおこったのか考えてみたい。
騎馬遊牧民が生きた時代は「青銅器時代」であり、「騎馬民族」は鉄器時代」である。軍隊組織としての騎馬隊の武器は弓矢である。青銅器時代の矢じりは石や鋳造された青銅矢じりであったがその柄は空洞になっていなく矢の軸に取り付けるためには軸を割いてそこに矢じりをはさみ紐などで固定する方式をとった。これでは強い矢は作れない。一方鉄の矢じりは鋳造でしかも柄は空洞であり鏃で茎(軸)を包むようにでき、強力な矢だできた。しかも量産の規格化された矢が作られた。弓にも進化があった。騎馬遊牧民時代の弓は1メートルから1.5メートルの長さがり馬上で扱う上では不便であった。鉄器時代になるともっとコンパクトな複合弓(キューピットの弓)が作られるようになり、馬上で効果的に弓矢を扱えるようになった。これらの武器から見た変化である。
一方イデオロギーの変化も必要であった。軍隊組織のなかの騎兵は「一将、功成って万骨枯る」のように消耗品であった。これはそれ以前の英雄時代の騎兵とは精神の面でちがっている。この転回を可能にしたものは強力な王権なのかもしれない。
日本では近世後半の西洋の知識が流入するまで天体現象に合理的な説明を創作すること(これが天文学である)がなかった。前々からその理由について考えてきているが、日本のような農耕経済文化では「天体は必要なかった」。これが理由のように考えている。農耕経済文化では人々は土地に執着する。村に定住しその狭い環境を熟知して農耕をおこなう。四季折々の変化もそこにある。
一方紀元前3500年ごろ中央アジアの西端で起きた遊牧経済文化は馬とワゴンを持ち家畜化された動物を飼育する文化である。広大なユーラシアステップが舞台であり極めて機動性の高い生活をしていた。土地に対する執着は弱く、定住地をもたない。このような環境の中で四季の変化や方向を知る手立てとしてどこにいても見えた天体に注目したのであろう。
世界史的にみても最初の農耕経済文化を築いたシュメール文化と比較して遊牧経済文化であったバビロニアの天文の知識は群を抜いている。これらの知識がギリシアにもたらされ天体現象の合理的な説明を創作する天文学が誕生した。
前に紹介したようにRawTherapeeではヴァージョン5.9で局所処理機能が追加された。ここではその機能を使って処理した画像を元の画像との対比で紹介する。
それぞれの画像の修整目的は前後の画像から自明であるが、RawTherapee5.9の局所処理では修整箇所を絞り込むプロセスが調整するパラメタが多くて大変だがアルゴリズム的なのが面白い。