今朝の新聞のタイトルである。
「核抑止力」は核兵器の使用を前提にしたものであり、核兵器の使用を擁護する論理である。
「核の傘」論:わが国が危険になったときはその核を使って守ってほしい。
今朝の新聞のタイトルである。
「核抑止力」は核兵器の使用を前提にしたものであり、核兵器の使用を擁護する論理である。
「核の傘」論:わが国が危険になったときはその核を使って守ってほしい。
「カ」では
カザフ語
カシューブ語
カタルーニャ語
広東(カントン)語
カンボジア語
が紹介されている。カシューブ語が珍しい。この言葉はポーランド北部でバルト海に面した地方で話されている。独立した言語なのかポーランド語の一方言か時代によって位置づけが揺れている。
「ウ」では
ウイグル語
ウェールズ語
ヴォロフ語
ウクライナ語
ウズベク語
ウルドゥー語
が紹介されている。ウェールズ語が面白い。「修道士カドフェル」(エルス・ピーターズ)の主人公カドフェルがウェールズ出身でウェールズ語を話す場面があるそうだ。この推理小説は日本語では読んだことがあるが、原著で読むとこの場面は面白いだろうと思った。ウェールズ語はケルト語系の言語で
How are you? –> Sut wit ti?
fine –> Yn dda
となる。
「イ」では
イタリア語
イディッシュ語
インドネシア語
インドネシア語が面白そう。複数を表すときにはその語を二回繰り返す。例えばオランが人ならば人々はオランオラン。一人称代名詞に包括形と除外形がある。「われわれ」と言っても、キタ(包括形)とカミ(除外形)がある。
この著書では世界の100の言語が紹介されている。
「ア」では
アイスランド語
アイヌ語
アイルランド語
アゼルバイジャン語
アフリカーン語
アムハラ語
アラビア語
アルザス語
アルバニア語
アルメニア語
である。中でもアルメニア語が面白そう。ここはインド・ヨーロッパ語の最古の言語のアナトリア語の地元である。
久ぶりに時代小説を読んだ。「高瀬庄左衛門御留書」(砂原浩太朗著)である。
地方の小藩が舞台で、村回りの一役人が主人公である。設定から「藤沢周平」に似ている。人物描写や風景描写は極めて気に入った。
村でおきた大事件が余りにも都合よく解決されてしまった点が気になった。
ヨーロッパにおいては「天動説」から「地動説」へに転回は大論争を引き起こし、その転回は「コペルニクス的転回」として科学史上の大転回と位置づけられている。
江戸時代になってこれらの知識がわか国へももたらされるが「地動説」を「天動説」からの「コペルニクス的転回」として驚きを持って受容したようには思えない。
これは当時主流であった儒教には「宇宙モデル」というものがなかったことに起因するように思われる。面白いことには、仏教が「天動説」や「地動説」に敏感に対応していることである。
仏教は伝統的な「宇宙モデル」を持っていた。それが須弥山宇宙である。西洋天文学の新知識と須弥山宇宙とを融合する努力がなされた。「星の宗教」(吉田光邦著)によれば、その努力の頂点にたったのは円通である。彼は「仏国暦象論」「梵暦策進」の著書で地動説は須弥山宇宙に含まれると主張した。かれは「地動説」を充分理解し、地動説は須弥山宇宙の見えてる部分に対する説だとした。西洋天文学の受容の仕方としてこれは面白い。
「徳川合理思想の系譜」(源 了圓著)では荻生徂徠の弟子である医者であった杉田玄白と吉益東洞を対比している。
荻生徂徠の思想の大きな特徴は思弁的な朱子学的な理の否定である。杉田玄白と吉益東洞もこの荻生徂徠の弟子であり、両者とも医者である。師の朱子学的な理の否定の影響を受けながらも、朱子学的な理の克服では対照的な道を歩んだ。吉益東洞は医術の世界で「事実主義」を主張、彼は言う:
「唯毒の所在を視て療治するなり、因を論ぜずという主意は憶見に落ちて治療なりがたく殊に道を害することある故なり。」
一方、杉田玄白は洋学と出会うことにより、人体構造の解剖学知識にもとづいた病理を明確に認識した。朱子学の思弁的な理に替わる「気の理」の重要性を認識した訳である。かれは言う:
「只願くば病因を分ち、条理を知るを肝要とすべし」
ここには理論と実践の相互フィードバックという科学的方法論の自覚が明確に表明されている。
「徳川合理思想の系譜」(源 了圓著)で暦学者の西川如見を取り上げている。如見は「命理の天学」と「形気の天学」を提唱した。これは科学的方法論の「実験(観測)」と「理論」との関係を彷彿させる。
しかし、かれにとっては「命理の天学」はあくまで朱子学の思弁的理論天文学であり、この双方の天学は不可分なものとしているが、「形気の天学」から「命理の天学」へのフィードバックまたその逆の「命理の天学」から「形気の天学」へのフィードバックも予定されていない。
「命理の天学」は余りにも思弁的・哲学的であり、「形気の天学」との距離があり過ぎた。これでは双方からフィードバックは期待できない。日本の学問はこの距離をいかに縮めるかという方向で発展したように思われる。
日本の本格的な暦学は外来の中国の暦を日本独自の暦に置き換えることから始まった。このような機運は同じく外来の朱子学の「命理の天学」への距離を縮めることに繋がったと思われる。
惑星の運行の理論模型はプトレマイオスまで遡る。この古い理論模型はケプラーなどの火星の運行に関する観測によって否定されコペルニクスの理論モデルに置き換わった。これは科学的方法論の典型である。