The big book of catsという楽しい猫の写真集がある。
その中に前肢をきちんと揃えて、尻尾をくるリとその前肢に巻きつけた端整なねこの写真があった。以前これと同じような写真を撮ったことがあるので、その写真を載せておく。モデルは我が家の猫「にっこ」くんである。

The big book of catsという楽しい猫の写真集がある。
その中に前肢をきちんと揃えて、尻尾をくるリとその前肢に巻きつけた端整なねこの写真があった。以前これと同じような写真を撮ったことがあるので、その写真を載せておく。モデルは我が家の猫「にっこ」くんである。
福島では相馬が名前からして馬との関連が強い。「相馬」と言う言葉の意味はここを見てほしい。また唄の歌詞にもあるが、相馬には妙見さんが実に沢山ある。それについてはここをみてほしい。
相馬流れ山の歌詞:
相馬流れ山 ナーエナーエ(スイー)
習いたきゃござれナーエ(スイースイ)
五月中の申(さる) ナーエナーエ(スイー)
アーノサ 御野馬追いナーエ(スイースイ)
相馬恋しや 妙見様よ
離れまいとの つなぎ駒
しだれ小柳 なぜ寄り掛かる
いとど心の 乱るるに
手綱さばきも 一際目立つ
主の陣笠 陣羽織
小手をかざして 本陣山見れば
旗や纏や 鳥毛の槍も春霞
向かい小山の 崖(がんげ)のつつじ
及びなければ 見て暮らす
駒にまたがり 両手に手綱
野馬追い帰りの 程のよさ
法螺の響きと あの陣太鼓
野馬追い祭りの 勢揃い
岩手県を代表する馬の民謡は「南部馬方節」。
南部藩で馬産が盛んになった歴史はここを見てほしい。
馬方節の歌詞:
ハアアーア アアーアーエ
朝の出がけにハアアーエ
山々見ればアーヨー
(ハイーハイ)ハアアーエ
霧のオエハアーエかからぬ
ウーエハア 山も無い
(ハイハイ)
南部片富士 裾野の原は
西も東も 馬ばかり
さても見事な 馬喰さんの浴衣
肩に鹿毛駒 裾栗毛
朝の出がけに 山々見れば
黄金まじりの 霧が降る
ひとり淋しや 馬喰の夜ひき
明日は南部の 馬の市
一夜五両でも 馬方いやだ
七日七夜の 露を踏む
妾もなりたや 馬喰の嬶に
いつの芦毛の 駒に乗る
心細いよ 馬喰の夜道
何時も轡の音ばかり
日本の各地に馬子唄が残っている。これは馬が日常にいて各種の労働に従事していた時代の残照である。その多くの馬子唄の中で三大馬子唄と言われるものがある:
日本密教の本を読んでいたら密教の日本的な展開の上で「権現思想」が大きな役割を果たしていることが分った。
その権現思想とは
仏教が輸入され従来の日本の神々と競合し仏教が優位にたってくる状況で、仏教の仏と日本の神々と折り合いが付けられた。日本の神々は仏教の仏が変化したものであるという発想である。これが「権現」である。この発想は奈良時代にもうあったもので、平安時代の「本地垂迹(ほんちすいじゃく)説」の萌芽である。
この権現思想は山嶽信仰で重要になる。例えば、大峯山の本尊は「蔵王権現」(ざおうごんげん)である。この権現は「金剛蔵王権現」(こんごうざおうごんげん)が正確な名前である。
宮城と山形の間にある蔵王山(ざおうさん)の名前の起源もこの「蔵王権現」のように思われる。
今回はイタリアの馬サレルノ(Salerno)を取り上げる。
サレルノは数が減ってきているがイタリアの温血種の中では最も魅力的な馬の一つである。こと品種の故地はプーリアに隣接したカンパニア地方である。Morese牧場ではMeranoやPosillipoといった有名な馬を含め有力な馬が生産された。
Morese牧場は18世紀の前半にナポリ王後にスペイン王になったシャルル3世(ブルボン公)によぅて創設されたParsano牧場に近い。サレルノはこの牧場から誕生した品種である。Parsanoで飼育された馬たちその名前で呼ばれたが基礎はナポリターンである。ナポリターンはソレントやナポリの近郊で飼育されていて、スペイン馬やバーブの血を色濃く受け継いでいた。かれらは当時は最高の乗馬学校の馬と見なされ、その高さ、快活な動作そして強靭な肢は賞賛の的であった。これらの馬はサレルモやオタント渓谷の近隣の馬と交配され、独特の乗用馬を作るためにアラブ馬やスペイン馬の導入がされた。この牧場はイタリア共和国の誕生後は閉鎖された。1900年に再開されたとき古い名前は廃止され、この品種はサレルノ(Salerno)と呼ばれるようになった。
今回はウェールズの馬、ウェールシュ・コブ(Welsh Cob)を取り上げる。画像はここ。
爆発的な速歩の動作を伴なうウェールシュ・コブはウェールシュ・コーラスやラクビーと同じように当地では熱狂を引き起こした。これは進化の過程で影響を与えたノーフォーク・ロードスターの偉大な速歩の伝統を引き継いだ後継者である。馬車の引き馬としてはウェールシュ・コブはスタミナと度胸を引き継いだ。騎乗用の馬としてジャンプの能力を持った大胆な馬である。
ウェールシュ・コブ(馬産台帳のセクションD)はその基礎になったウェールシュ山岳ポニーの完全な大型ヴァージョンである。このポニーはポニー・コブや少し大型のウェールシュ・カート(荷馬車)・ホースを作るためローマ軍の導入した馬や11、12世紀にはスペイン馬との交配がなされた。18、19世紀にはノーフォーク・ロードスターなどとの他配があり現生のウェールシュ・コブができあがった。過去においては射撃用や歩兵の乗用馬として大きな需要があった。1960年代までこのコブは大きな都市ではミルク、パンそして日常品の配達に従事していた。
ウェールシュ・コブは馬車の引き馬としても騎乗用の馬として使うことがてき、サラブレッドとの交配で競走馬としても使える。ウェールシュ・コブは飼い易く、事の他馬力があり、万能向きの体型であり、遺伝的に性格はおとなしい。
今回はアイルランドの馬であるアイリッシュ・ドラフト(Irish Draft)である。画像はここ。
アイルランドの重量馬、「田舎の馬」はアイルランドの小農家であらゆる作業に使われていた。速くはないが騎乗できる馬であり、クロスカントリーで遭遇する厄介な障害物を切り抜ける能力を身につけてきた。サラブレッドとの交配で世界最強のクロスカントリー・ホース、Irish hunterとなった。またこの交配で品評会や主たる乗馬分野で成功を納める馬となった。
12世紀になって在来種のサイズはフランスやフランドルの大型の馬の影響で増加した。体形はその後にスペイン馬の影響で改良された。アイルランドの石灰岩の牧草地と温暖な気候がこの品種の骨格や資質に貢献している。
アイリッシュ・ドラフトは穏やかな気質を持った生まれながらジャンパー競技選手であり、すごく手の掛からない馬である。
英国の最後の馬としてクリーブランド・ベイ(Cleveland Bay)を取り上げる。画像はここ。
クリーブランド・ベイは英国の最古で最も純粋な固有種であり、18、19世紀にはヨーロッパ中の馬たちの改良のために用いされた。大英帝国では300年以上も宮廷御用達の栄誉を享受していた。純粋種の牝馬が不足していることから英国のRare Breeds Trust協会はクリーブランド・ベイの状況を「深刻」と認定した。
この品種は中世において北イングランド、クリーブランドの行商人(chapman)たちによって運搬用の馬として使われていた鹿毛の馬たちから進化した(それ故それらの馬はChapman horseと呼ばれている)。17世紀にスペイン馬の影響があったことを別にすると、この馬は外部からの影響を受けていない。この結果は馬車牽引用の強力で、酷い沼地の作業や過酷な条件で多くの人を運ぶことができる馬を実現した。
この品種は長寿で、顕著に優性遺伝で、大きさ、骨格、体型の強靭さを伝えており、サラブレッドの交配ではジャンプの能力を常に示している。この馬は馬車牽引用の堂々たる馬であり、宮廷厩舎のようなところで飼育されている。