馬子唄の世界(8):箱根馬子唄

落語の「三人旅」にも出てくるが、東海道の難所の一つであった箱根山を徒歩で登り下りするのは大変だったらしく、馬に乗って行き来した。箱根の峠は、東の小田原宿までが四里八丁、西の三島宿まで三里二十八丁あり、いわゆる箱根八里(約32km)で、途中に箱根宿があった。

馬を曳いたのが馬子で、農閑期になると近隣の百姓も馬子になった。

箱根馬子唄:

箱根八里は(ハイハイ)馬でも越すが(ハイハイ)
越すに越されぬ大井川(ハイハイ)
めでためでたのこの盃は 鶴が酌して亀が飲む
関所通ればまた関所 せめて関所の茶屋迄も
お前百までわしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで

馬子唄の世界(7):吉野の草刈唄

木曾地方も馬産が盛んだったので馬を唄った民謡がさぞ沢山あるだろうとおもったが暗に相異して殆んどない。見つけたがこの「吉野の草刈唄」である。

長野県木曽郡上松町吉野に伝わる作業歌で馬の飼料となる夏草を刈り採るときに歌った。

吉野の草刈唄:

草を刈るなら吉野の山で
どうぞまじりの嵐草(あらしぐさ)

草を刈るなら桔梗花残せ
桔梗は女の縁の花

花は蝶々か蝶々が花か
さてはちらちら迷わ

「どうぞ」は、馬小屋に堆肥用に敷く長くて硬い草のこと。「嵐草」は、山の上からまとめて転がす様子を歌ったもの。

なお木曾地方の馬産についてはここを見てほしい。

 

馬子唄の世界(6):小諸馬子唄

三大馬子唄の一つ小諸馬子唄。中仙道信濃路の浅間三宿(軽井沢、沓掛、信濃追分)あたりにあった馬子唄。このあたりは馬の生産も盛んで近くの八幡宿には放牧場(御牧ガ原)があった。また望月宿にはいまも「駒つなぎ石」が残っている。

小諸馬子唄

小諸出て見りゃ 浅間の山に
今朝も三筋の 煙立つ

小諸出抜けて 唐松行けば
松の露やら 涙やら

田舎田舎と 都衆は言えど
しなの良いのが 小室節

さした盃 眺めてあがれ
中に鶴亀 五葉の松

祝い目出度の 若松さまよ
枝も栄える 葉も繁る

小諸通れば 馬子衆の歌に
鹿の子振袖 ついなれそ

さても見事な おおづら馬よ
馬子の小唄に 小室節

松はつらいと 皆人言えど
色が変わらで ついなれそ

馬子唄の世界(5):伊那節

天竜川流域の長野県伊那谷地方の祝歌,盆踊歌。元歌は木曽地方で古くからうたわれていた「御岳節」伊那と木曾を結ぶ権兵衛峠の「馬子唄」である。
伊那節:
わしが心と 御岳山の
胸の氷は
胸の氷は   いつとける
ア ソリャコイ アバヨ
御岳(おんたけ)・御岳山節(おんたけやまぶし)などと呼ばれた伊那節の元歌。木曽の御嶽山の「峰」と人の「胸」とをかけて歌っているこの歌は、木曽の御嶽山を仰ぐ麓の村で歌い継がれてきたもの。が、伊那から米を運ぶ馬追いに伝えられ馬子唄となり、明るい内容から酒の席に無くてはならない歌として歌い広められた。
囃子詞〈ア ソリャコイ アバヨ〉は峠を往来する馬子たちの挨拶からできたものだという。

 

 

 

馬は人の表情を覚えている

イギリスの研究者、Leanne Proopsたちは馬が最後にあった人物の表情(幸せな、または不機嫌な)を覚えていて、再会した際にこの記憶に基づき異なった行動を採ることを見つけた。

実験は:

まず馬に幸せな、または不機嫌な表情のモデルの一人の写真を見せる。そして数時間後モデルの一人が普通の表情で馬と面会する。この対照群として、最初に見た写真と異なった人物と再会する馬も用意した。モデルには馬が見たのはどの写真が知らせないようにしてモデルからに反応が読めないようにした。

馬は嫌なものや緊張を強いるものを左目で見て、肯定的な社会的な信号は右目で見ることが好きだ。

この研究では、不機嫌な顔の写真のモデルと再会すると馬は左目で見つめ、前掻きなどのストレスに関連した行動を多くする。一方幸せな顔の写真のモデルと再会した馬は右目で長い間モデルを見つめているという結果を得た。

これから、研究者たちは「馬は人の表情を覚えている」と結論つけた。

 

 

ニッカー(Nicker)は幸せの信号

以前に馬の音声について書いたが、四つ種類の音声の一つにニッカー(Nicker)がある。

このニッカーについて

「100ヘルツあたりの極めて低い音程の音である。これは柔らかな音で口を閉じた状態で生成される。これは鳴き声というより、ネコの「ゴロゴロ」と同じようなものかもしれない。」

と書いたが、実際の機能を調べた研究がある。それによると、リラックスしている馬ほどニッカーを沢山する。

馬も猫と同じだ。

馬子唄の世界(4):相馬流れ山

福島では相馬が名前からして馬との関連が強い。「相馬」と言う言葉の意味はここを見てほしい。また唄の歌詞にもあるが、相馬には妙見さんが実に沢山ある。それについてはここをみてほしい。

相馬流れ山の歌詞:

相馬流れ山 ナーエナーエ(スイー)
習いたきゃござれナーエ(スイースイ)
五月中の申(さる) ナーエナーエ(スイー)
アーノサ 御野馬追いナーエ(スイースイ)

相馬恋しや 妙見様よ
離れまいとの つなぎ駒

しだれ小柳 なぜ寄り掛かる
いとど心の 乱るるに

手綱さばきも 一際目立つ
主の陣笠 陣羽織

小手をかざして 本陣山見れば
旗や纏や 鳥毛の槍も春霞

向かい小山の 崖(がんげ)のつつじ
及びなければ 見て暮らす

駒にまたがり 両手に手綱
野馬追い帰りの 程のよさ

法螺の響きと あの陣太鼓
野馬追い祭りの 勢揃い

馬子唄の世界(3):秋田馬喰節

秋田は馬産が盛んで、民謡も豊富なので馬に関する民謡も多い。秋田馬喰節、秋田馬子唄、秋田馬方節などがある。

秋田馬喰節

1、(ハーイハイ)
ハァー袖から (ハーイ)
ハァー袖へと (ハーイ)
ハァー手を入れて (ハーイ)
ハーさぐるヨー (ハーイハイ)
ハァーこれが (ハーイ)
ハァー馬喰の (ハーイ)
ハー幕の内 (ハーイハイ)

2、ハァー二両で ハァー買った馬
ハァー十両で ハー売れたヨ
ハァー八両 ハァー儲けたヨ
ハー初馬喰

馬の競りの様子が分って面白い。「馬市果てて」も秋田が舞台である。

馬子唄の世界(2):南部馬方節

岩手県を代表する馬の民謡は「南部馬方節」。

南部藩で馬産が盛んになった歴史はここを見てほしい。

馬方節の歌詞:

ハアアーア アアーアーエ
朝の出がけにハアアーエ
山々見ればアーヨー
(ハイーハイ)ハアアーエ
霧のオエハアーエかからぬ
ウーエハア 山も無い
(ハイハイ)

南部片富士 裾野の原は
西も東も 馬ばかり

さても見事な 馬喰さんの浴衣
肩に鹿毛駒 裾栗毛

朝の出がけに 山々見れば
黄金まじりの 霧が降る

ひとり淋しや 馬喰の夜ひき
明日は南部の 馬の市

一夜五両でも 馬方いやだ
七日七夜の 露を踏む

妾もなりたや 馬喰の嬶に
いつの芦毛の 駒に乗る

心細いよ 馬喰の夜道
何時も轡の音ばかり

 

馬子唄の世界(1):三大馬子唄

日本の各地に馬子唄が残っている。これは馬が日常にいて各種の労働に従事していた時代の残照である。その多くの馬子唄の中で三大馬子唄と言われるものがある:

  • 箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川(箱根馬子唄:東海道)
  • 小諸でてみよ浅間の山に 今朝も煙が三筋立つ(小諸馬子唄:信濃路)
  • 坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る(鈴鹿馬子唄:東海道)