霞ヶ浦と「帆引き船」

数日前の新聞の旅のコーナーに霞ヶ浦の「帆引き船」の記事が載った。その「帆引き船」の写真がとても印象的であった。その「帆引き船」の写真はここ

いまでは純粋に観光用であるらしいが、嘗てはわかさぎやしらうおを網で獲る漁法の動力としてこの「帆引き」が使われた。操業中は船は帆に風を受けて横に動く。この漁法は明治の中ごろ始まったということでそんなに古いものではないが、霞ヶ浦そしてその東側にある北浦は中世から「海夫」たちの活躍した場所である。

AI論議にもっと現実性を持とう

NewScientistの記事である。

記事では

「AIの進展はわれわれを追い越すであろうという論者に対するToby Walshの反論はその客観性や専門性の双方の点で新鮮である。彼は『イヌの思考速度を速めることができたとしても、イヌがチェスをやるということはありそうないこtでおある。』

AIコミュニティーには機械のスピードを現実のヒトの思考とごちゃ混ぜにしている人々があまりにも多い。最速のコンピュータが意図や意思を持つとは考えられないし、ましてや意志を持つなどないであろう。コンピュータが何にその能力を集中し、どのような問題に注目し解決をはかるべきかは依然として人が決めている。高速なAIは知能をもつようになるといった議論に反論するWalshの議論は時機を得たものであり、スピードが全ての特効薬であるという誤った考えをやめるときである。」

A welcome bit of realism in the AI debate

Published 2 September 2020

From Robert Willis, Nanaimo, British Columbia, Canada

 

北斎の103点見つかった:大英博物館が収蔵

今日の朝刊の記事のタイトルである。

葛飾北斎の未公開の素描(デッサン)100点以上がフランスで見つかり大英博物館が収蔵したと3日に大英博物館が発表した。

見つかったのは1829年に「万物絵本大全図」の挿絵として制作された挿絵の作品群103点である。

これらの作品」が制作されたのは「富嶽三十六景」を手がける直前のものである。

オッカムの剃刀(かみそり):付録

前回のブログの続きである。NewScientistの同じ記事の最後のほうに以下のような文章がある:

Francis Crick, a co-discoverer of the structure of DNA, warned that the “simplicity and elegance” of Occam’s razor wasn’t well suited to the messy world of biology. Darwinian evolution by natural selection, for example, is a far more complex theory than just saying all animals are the product of a divine creator, but ultimately, it fits the facts as we know them far better.

DNAの構造の共同発見者であるフランシス・クリックは「『オッカムの剃刀』が言う単純さと華麗さは生物の混沌とした世界にはうまく適用できない。例えば、自然選択を基礎にしたダーウィン進化論は全ての動物は神が創ったものであるという一言よりずっと複雑である。しかし最終的にはダーウィン進化論は全ての動物をずっとよく知りうるという意味で事実に合っている。」

と訳せる。

しかし「全ての動物は神が創ったものである」という言質は果たしてダーウィンの進化論より複雑でないと言えるのだろうか?この言質は「神」という途方もなく複雑なものを導入し、事実の解明を先送りしているだけであるように思える。その意味でダーウィンの進化論は「オッカムの剃刀」が適用された結果である。

オッカムの剃刀(かみそり)

NewScientistの最近の記事を見ていて目に入った記事である。原文はここ。

「オッカムの剃刀(かみそり)」は14世紀の神学者”Williamめ of Ockham “(オッカム村のウイリアム)に帰される物事を考えるときに採用すべき指針である。「同じ現象を説明しようとする二つの説明があったとしたら、ヒトはより簡単な説明の方を採用すべきである。」つまり「剃刀」は余計なものを削ぎ落とすことの比喩である。

この指針はアインシュタインを含む後世の人々によって再認識されたが、「神の存在は論理のみでは跡付けることはできない」とも言った、剃刀のような鋭い論理を展開したオッカムの名で呼ばれている。

この指針は科学と論理学の多くの分野で適用できる。例をあげる。二つのコンピュータ・プログラムが同じ目的を達成できたとするならば、より単純なプログラムを採用すべきである。なぜならより単純の方がエラーを含んでいる確率は小さいからだ。医者は鼻詰まりを訴える患者にたいして稀な免疫系の機能障害よりよくある風邪を想定すべきである。また医学生がよく聞かされる諺として「蹄の音を聞いたならば、シマウマではなくウマを思い浮かべよ。」

「オッカムの剃刀」は法則ではなくあくまでも指針であることに留意すべきである。真実は思った以上に複雑なことが多い。