木ノ下駒

「灯台下暗し」でした。こんな身近に馬の玩具がありました。仙台でそれもごく近いところです。薬師堂です。そこに表題のような「木ノ下駒」があります。画像でみるように馬の玩具です。

木ノ下駒
木ノ下駒


説明によるとこの地で馬の市が開かれ朝廷に献上する馬にこの馬型を下げたとある。「木ノ下」とあるのは地名だと思う。この薬師堂をウルスラ学院の方向に南に行くと「木下」という地名がある。この近くには「東(あずま)街道」という通もある。多賀城が大和朝廷の出先機関であったころは、この東街道は中央と出先を繋ぐ街道であった。名取にもその東街道の一部が残っている。朝廷とあるので江戸時代前のこの時代のことであろう。薬師堂の地には陸奥国分寺があった。天平十三年(741年)の聖武天皇の詔勅によって建てられたものである。寺で馬の市とは珍しいが、隣接する「白山神社」も寺の守護神として古い歴史をもつものなので、もしかしたらこの白山神社が馬市と関連するのかもしれない。

おまんと祭りー「この馬」とまれ

今日のケーブルテレビで高浜おまんと祭りの様子を紹介していた。これは近郊で飼育されている馬たちを神社の奉納する神事であるが、この奉納が豪快だ。周囲100メートルもある円形馬場の拉致に沿って疾走する馬(馬の背には御幣などの飾りものを載せている)に地元の若者たちが馬に掴まって馬と一緒に走るというものだ。馬の速度が遅いときは馬の速度について行けるが、馬のテンションが上がって速度が速くなるとと馬に掴まれず倒れるもの、掴まっても速度に勝てず落とされるものが多くなる。

動画

「優秀馬」というサラブレットになると速度が速く、「ゼロすかし」(一度も転んだことが無い走者)でもなかなか転ばずに走ることが難しくなる。今年は一人「ゼロすかし」を続けていた若者も転んでしまった。

この若者がインタビューで「人生の中で最も熱くなれる瞬間だ」と答えていたのが印象的だった。

 

「ルーシー」は二足歩行

新聞でルーシーが二足歩行をしていた証拠が見つかったとする記事を見た。ルーシーは今から320万年まえにアフリカに住んでたアファール人の女性の化石に付けられた名前で、今回同じアファール人の第四中足骨の化石が発見され、この骨の形状から足裏に「土踏まず」があったことが示されたというわけである。
「土踏まず」は二足歩行をするときに姿勢を制御したり、衝撃を和らげたりするのに必要な足の構造だと考えられているので、これからルーシーを初めとするアファール人の二足歩行が証明されたと報じている。
二足歩行といえば、つい最近に通常に二足歩行をするチンパンジーの話が報じられていたが、猿などの四足歩行は前足をナックルウォークさせる。これらを見ていると二足歩行までもう一歩という感じである。

立春正月

広辞苑によれば、「節分」とは、立春(りっしゅん)、立夏(りっか)、立秋(りっしゅう)、立冬(りっとう)の前日のことで、今日では、これらの中の立春の前日の節分のみが人口に膾炙されている。
旧暦ではこの立春の前後が年の始めであった。
暦を作る上では、冬至が最も重要な日である。冬至の日は太陽の動きを観察することで決められる。一年で棒の影が最も短くなるタイミングが冬至である。冬至から次の冬至までが一年となる。これを正確に決めるのが暦の最重要事である。
この一年にどのような月を配分するかは次の問題である。
たとえば、江戸時代の最後の暦である「天保暦」では
「歴日中、冬至を含むものを十一月、春分を含むものを二月、夏至を含むものを五月、秋分を含むものを八月とする。」(能田忠亮著「暦」(至文堂:昭和41年)。
だから正月元日は立春の前後になる。元日が立春の前になるのか、後になるのかは年による。
こんな和歌もある。「年の内に春は来にけりひととせを去年とやいはん今年とやいはん」(在原元方)。
こんな複雑な旧暦であるが、江戸時代の人は西洋の太陽暦を見て、「怪奇の甚だしいもの、蓋し蛮人の遺毒か」(渋川春海)と言ったとか。

「年の内の春ゆゆしきよ古暦」(蕪村)
「御経(おんきょう)に似てゆかしさよ古暦(ふるこよみ)」(蕪村)

牛供養/馬頭観音

牛供養/馬頭観音
牛供養/馬頭観音

写真は秋保への途中の路傍に仲良く並んでいた牛供養と馬頭観音の碑である。
牛供養はそのままであるが、馬頭観音とは、馬供養のためのようにみえるが、なぜ馬頭観音なのか?
インドの神に「馬頭神」というのがある(柳宋玄「十二支のかたち」(岩波書店:1995))。この神の名前は「ハヤグリーヴァ」である。太陽を導くもの、太陽の象徴、さらには太陽神「ヴィシェヌ」と同一だと見なされるヒトのための神である。これが中国に入り、馬頭明王となる。大乗仏教系の仏教神となる。これが日本には入り、馬頭観音となる。だから、馬頭観音は馬の霊力にあやかったヒトのためにあったわけである。
これが江戸時代に入り、馬頭観音は馬の供養、馬の保護神として信仰されるようになる。今も多くの場所で碑を見かけるほどポピュラーになった。

馬の温泉

手元にある飯島裕一著「温泉の医学」の中に馬の温泉治療について書いてあった。古い本などで今でもそうなっているか分からないが、面白いので紹介しておく。
場所は福島県いわき市で日本中央競馬会・競走馬総合研究所磐城支部である。馬の脚の腱炎(けんえん)、関節炎、筋肉痛、骨折などの治療・療養に温泉を取り入れている。入院治療した75%が”職場復帰”しているそうで、かなりの効果があるらしい。
馬の温の温度は摂氏38から40度と温め、入浴時間は15分から20分程度、ぬるい湯に脚だけ浸けて心臓の負担をかけねいようにするそうだ。シャワーをかけることで「打たせ湯」の効果を試している。気持ちはよくて、あくびをしたり、居眠りをする馬もいるそうだ。
馬も最初は温泉が怖いらしく、最初は恐怖のために震えたり、鼻息も荒く抵抗するそうだ。でも、1週間もすると慣れる。温泉療養の期間は平均で約140日である。羨ましいくらいのんびりとした療養である。

「馬の尾にいばらのかかる枯野(かれの)哉(かな)」(蕪村)

馬を手の内に入れる

インストラクラに「馬を手の内に入れる」ようにと言われる。

Alios Podhajsky”The complete Training of Horse and Rider”のなかで”The horse steps into the rein”が該当する言葉かなと思われる。この言葉がでる章では”collection”(まとめる)を説明している。馬の後肢が前方に移動してこの脚で体重を支えるようにすると頭が上がり前肢が自由になる。
この状態を馬が”collect”されたというし、「馬を手の中に入れた」ことになる。このためには、後肢が快活に動く必要があり、乗り手の脚による扶助が決定的に必要になる。手綱がきちんと張れていないと、せっかく手に入れた馬を逃してしまう。この点に手綱(rein)の役割がある。この本でも強調されているが、馬の頭を上げるために、手綱を引っ張ることではダメである。あくまでも後肢が前方に来ることが大事である。

「こがらしやひたとつまづく戻(もど)り馬(うま)」蕪村

「さがり馬」神事

 

「さがり馬」神事。熊本県八幡市の河尻神宮で10月17日に行われる馬の神事である。河尻神宮で行われる馬の神事の一つで、この前後にも馬の神事がある。
説明によれば
「1197年、河尻三郎実明が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したのが始まりで春日大神・天照皇大神・鶴岡八幡・住吉大神・阿蘇大神が祀られています。御神木は大柊で若木のときは葉に刺があり、老木になると刺がとれるので長寿の守護木としても仰がれています。大祭は毎年10月15~19日に開催され、流鏑馬・下り馬・風流舞・獅子舞・提灯行列・子供みこし・飾り馬などが登場する勇壮な祭りです。」

そのなかでもこの「さがり馬」の神事は勇壮である。馬のたてがみを三つ折り(便箋を封筒に入れるときに便箋の長い方を三分の一の長さになるように畳む。これが三つ折り。馬のたてがみのあるはばの部分をたてがみの垂れている方向で三つ折りにして先端を掴む、これを「下がり手」(まさに馬にぶら下がる勢子)の左手首で掴み、手綱をその手に持つ。神宮の参道にきたら鞭を当てると馬は駆歩を始める。乗り手でなく、「さがり手」はこの馬の走りに合わせて走り、参道がかなり社に近づいたら、「下がり手」は馬の横腹に体重をかけ馬にぶら下がる。これが神事である。
参道は砂利道なので、この神事で馬が駈歩をすると砂埃が上がり、これを勇壮な雰囲気になる。

さがり馬
さがり馬

動画

遵守すべき十二ヶ条

Sarah Blanchard著”The power of Postive Horse Training- Saying Yes to Your Horse”(Howell book house:2005)の中でHorse Trainingで遵守すべき十二ヶ条を挙げているので記録に残しておきたい:
1.Never Punish Fear
馬が感ずる恐怖を罰を持って修正しようとしてはいけない。
2.Say Thank You
新しいことをやって少しでも進歩があったらすかさず誉めること。
3.Say Please
なにかをさせる前にそれと分かるサインをだすこと。
4.Use Good Stress, Not Distress
学ぶことは馬にとってもよいストレスとなる。でも、”no pain no gain”を強いてはダメ。
5.Leave Your Personal Baggage at Home
個人的ないざこざで馬に当たるな。
6.Understand that Your Natural Aids Are Most Important Communication Tools
乗り手の拳、脚,声、体重のバランスが馬とコミニュケーションするための最も重要なツールであること。
7.Encourage Your Horse’s Curiosity and sense of Play
好奇心と遊び心
8.Keep the Lines of Communication Clear
馬に送る信号は必要な時に必要な量だけにする。不必要な信号は送るな。また送った信号のレスポンスを必ず聞くこと。
9.Plan Your Ride and Ride Your Plan
目標をもった乗馬。各自の能力に沿った方法で。
10.Keep Your Horse and Yourself Safe from True Danger
コントロールできない危険は排除しなさい。
11.Create Simulated Danger That You Can Control
逆にコントロールできる新しいものには馬を経験させ、馬がそのような状況で落ち着いていられるようにしなさい。
12.Understand Your Horse’s Comfort Zones
むりをしないで少しずつ新しいことを。

対称性のやぶれ

馬も含めて四肢を使った歩様(Gaits)で移動する生き物の歩様は(左右)対称性歩様と(左右)非対称性歩様に分類される。いずれの歩様も周期的な歩様である。1周期内の時間を1サイクルと呼ぶことにする。
対称性歩様(Symmetrical Gaits)は左側の二肢の動きのパターンが半サイクル後に右側の二肢に現れる。だから半サイクルずらすと左右のパターンは鏡面対称になる。典型的なものが馬の速歩(Trot)で見られる斜対歩である:

①   ②

②   ①
馬の歩様の中でこの対称性を持つものは、常歩(Walk),速歩(Trot)があり、静止(Still)も歩いていないけれどこの対称性を持つ。
ところが駈歩(Canter)にはこの対称性がない。このような歩様を非対称性歩様(Asymmmerical Gaits)と呼ぶ。だから馬の速歩から駈歩への歩様の遷移は「対称性のやぶれ」である。常歩から速歩への遷移にはこの「対称性のやぶれ」はない。この点で、馬の歩様の遷移では、常歩から速歩の遷移より、速歩から駈歩の遷移が興味深い。
なぜ馬は速く移動したいときに非対称性歩様をとるのか?
インパラなどの動きをみると捕食者が現れるとホッピング(Hopping)をして敵から逃げる。ホッピングは対称性を持った歩様である。

②   ②

①   ①
ホッピング
瞬間的に左右にコースを変える場合でもこのホッピングを維持したまま行う。多分インパラの体重が軽いのでこのようなことができるのかもしれない。
馬も含めて体重のある草食動物が捕食者から逃れるため、左右にコースを変えたいときには慣性は大きすぎてホッピングを維持してのコース変更は困難だろう。左右のコース変更を高速を維持してできるのが馬の非対称な歩様である駆歩なのかもしれない。
駈歩(Canter)は、左右の対称性が崩れた歩様なので、右手前駈歩と左手前駈歩がある

②   ③

①   ②
右手前

③   ②

②   ①
左手前
右手前は最後に動く脚は右前肢で、駈歩で四肢が地面を離れるときに右肩が下がる。だからコースを自然と右に採れる。この反対に、左手前では、コースを自然と左に採れる。
このようなことが馬が非対称性歩様である駈歩で走る理由のように思える。体重のある草食動物(象は重すぎて速歩でおわり)は高速では非対称性歩様で走り回ると思う。