The Book of Bread:二十世紀初頭の写真の役割

“The Photobook: A History”(Martin Parr and Gerry Badger)によれば二十世紀初頭では事実を丁寧に記録する媒体として写真が大きな役割を果たした。その一例は”The Book of Bread”である。1903年刊行の本である。

この本は工場でのパン生産技術を詳述した技術書で著者はOwen Simmonsである。多くの写真が挿入されているが、撮影者の氏名は触れられていない。

掲載されている写真の例:

写真1

写真2

 

 

奈良:「幻のヤマトの道」

天理市の近くに都祁(つげ)という地名のところがある。この地名の村では弥生時代後期前後の遺物が数多く出土するという。「大和路散歩」のなかではこの都祁(つげ)を含む道を「幻のヤマトの道」として紹介している。

筆者が興味をもった点は、この地がその後の大和権力の発祥の地かもしれないという点だ。大和権力は大和盆地を基盤としてるがこの地は大和盆地の縁にあたる土地であり、弥生時代後期では人口密集地であったからだ。この中から部族長的な存在が成長し大和権力へと成長したのかもしれない。

この都祁の近くに白石の国津神社がある。この神社の東側に豊かな田園を挟んで二つの峯をもつ野野上(ののかみ)岳がある。向かって右にある峯が雄ヶ岳、左が雌ヶ岳で、この二つの峯の中間(これは二つの峯の間の鞍部のように見える)に向かって田園の中に四ヶ所の叢林がある。これをやすんばという。画像はここ

白石の国津神社から見て朝日が峯の中間から出現する時期がこの里で稲の播種の時期であるという。これが面白い。これは大陸から暦がもたらされるずっと以前から日本にあった自然暦の伝統である。このような自然暦は日本の各地に残っているが、この都祁の例は稲作が始まった当初からあったもののように思える。

 

奈良:「石仏の道」

このブログでも奈良にある巨石遺構を話題にした(飛鳥道の巨石文化)。奈良には石仏も多い。「大和路散歩」では頭塔(ずとう)から東に向かい柳生街道を進み円成寺にいたる道を「石仏の道」として紹介している。確かにこの道は石仏が多い。

主なものを挙げると

  • 頭塔の石仏:塔(方形土壇)のまわりに十三個の自然石がありそこに仏菩薩などが薄肉彫で刻まれている。
  • 寝仏:柳生街道の旧道である滝坂道にある。
  • 夕日観音:「その表情笑ふか如く、また泣くがごとし」(会津八一)
  • 朝日観音:弥勒仏で鎌倉中期の文永二年(1265)の作。
  • 春日山石窟仏:東西二窟に金剛界と胎蔵界の諸仏を彫出している。平安末期の作。
  • 地獄谷石窟仏:線刻されたもの。平安時代の作。彩色は昭和。

以上と多彩である。この道には新薬師寺(十二神将像)や円成寺(大日如来像)といった興味ある仏像が見られる道でもある。

 

飛鳥道の巨石文化

大和路散歩という本を眺めていたら、飛鳥道に沿って大きな石による遺構が沢山あることに興味を持った。

飛鳥が日本の支配者たちの都であったのは紀元六世紀ごろのことであるが石の遺構も同時代のものなのであろう。

  • 石舞台古墳:70トンもある巨石が石組みの上に載っている。これはアイルランドのプルーナブローンを彷彿させる。こちらは紀元前3000年あたりの年代であるが。
  • 益田岩船:800トンもある巨石で、しかも方形の穴が二つあいている。
  • 亀石:亀の形に加工された巨石。
  • 吉備姫王墓の猿石:平田村池田という場所の田んぼから掘り出されて古墳の南側に置かれていた。
  • 酒船石:長さ6メートルもある石で、表面に奇妙な模様が彫られている。
  • 橘寺の二面石:ユーモラスな表情が二面に彫られている。

など飛鳥路は石の文化としても面白い。

銭形神社の不動尊

昨日は天気もよかったので近くの青葉区花壇にある「銭形不動尊」に行って見ました。

藩祖政宗のつくった仙台藩の通貨、「仙台通宝」の鋳造に使った鋳型石版が不要になったのでその裏に不動尊を彫って祀ったものと言われている。江戸初期に作られたものかもしれない。残念ながら像にはヒビが入っている。
(文・写真:TA)

不動尊全像
不動尊ノ頭部
不動尊の腕
不動尊の脚

新ニュートリノを探せ:茨城J-PARCで実験開始

今朝の新聞のサイセンス記事のタイトルである。

素粒子ニュートリノには「電子ニュートリノ」、「ミューニュートリノ」そして「タウニュートリノ」の3種類が知られているが、他にもあるらしい。それが「ステライルニュートリノ」(不毛ニュートリノ)である。

既存の三種のニュートリノはニュートリノ振動と呼ばれる現象で相互変換することが知られていてニュートリノに質量がある証拠とされている。

ステライルニュートリノもニュートリノ振動の際に現れるもので質量は既存のものより遥かに大きい可能性があり、見つかれば宇宙のダークマターの有力な候補になる。

これを見つける実験が大強度陽子加速器施設(J-PARC)で始まった。関連のプレスリリースはここ

カンガルー描いた最古の絵:1万7千年前の岩絵と判明

今日の朝刊の記事のタイトルである。

オーストラリアでも後期旧石器時代の人々が描いた絵がみつかった。

西オーストラリア州北部のキンバリー地域にはオーストラリアの先住民のアポリジニーによって岩の表面に絵が描かれている。トカゲ、ヘビ、そしてカンガルーなどが描かれている。

画像はここ

この絵の年代が始めて判明した。

メルボルン大学の研究者たちは絵の表面にあるハチの巣の残骸などの年代測定をし、絵の描かれた年代を推定した。

これらの岩絵は1万7000年前ごろから1万4000年前ごろに描かれたということが初めて判明、後期旧石器時代の人々が描いたものである。

石器時代の動物洞窟壁画

日本では殆んどないがヨーロッパを中心に後期旧石器時代(5万年から1万年まえ)に洞窟に動物壁画を描くことが盛んになった。

以下は著名な壁画のある洞窟の例である。

  • ラスコー洞窟 – フランス
  • ラ・マルシュ洞窟– リュサック・レ・シャトー近郊、フランス
  • ショーヴェ洞窟 – バロン・ポン・ダルク近郊、フランス
  • アルタミラ洞窟 – カンタブリア州サンティジャーナ・デル・マル近郊、スペイン
  • コスケール洞窟 – マルセイユ近郊にある入り口が海面下にある洞窟、フランス
  • レ・トロワ・フレール洞窟 – ピレネー山麓にある洞窟、フランス
  • フォン・ド・ゴーム洞窟– フランス

以前、このブログでもとりあげたがペック・メルル動物壁画はネアンデルタール人が描いたものかもしれないと話題になった。

また、描かれた動物の中でウマが最重要なテーマとして扱われているという話題もある。これも印象的な馬である。

このような動物壁画は現在4700枚程度知られてきており、そのデータベース化が行われている。