太陽は運動している

銀河の中心に対して太陽はほぼ回転運動をしている。その速度は220km/sであるので一昼夜で進む距離は1900万8000kmである。太陽の直径は139万2700 kmであるので一昼夜で約十四歩である。かなりのヨチヨチ歩きであるが、司馬江漢は納得するかな?

司馬江漢の宇宙観:大きさの認識

司馬江漢の「和蘭天説」では地球から惑星までの距離、ひいては太陽系の大きさ、さらに惑星の大きさに詳しく言及している。このことに興味がある。大きさといった比較的地味な量に関心を持っていたことは彼自身がその大きさの「天文学的な大きさ」に感銘したからなのであろう。

「和蘭天説」で距離・大きさに言及しているところを拾いだしてみる。

「九天の図」の説明で

  • その次を宗動天といい、地をはなるること日本の里法にて八万零九百十七万三千三百六十二里半(32億3669万3450km)。
  • その次を恒星天(二十八宿および北辰)、地をはなるること四万零三百四十六万二千三百零四分ノ三里(16億1384万9203km)。
  • その次を土星天、地をはなるること二万五千七百二十一万三千二百零五里(10億2885万2820km)。
  • その次を木星天、地をはなるること一万五千八百四十六万一千九百八十里(6億3384万7920km)。
  • その次を火星天、地をはなるること三千四百十六万五千一百二十五里(1億3666万0500km)。
  • その次を日輪天、地をはなるること三千零零六万九千六百十二里半(1億2027万8450km)。
  • その次を金星天、地をはなるること三百万零零八百五十一里四分ノ一(1200万3405km)。
  • その次を水星天、地をはなるること一百二十四万八千四百二十七里半(499万3708km)。

と地球からの距離を列挙している。宗動天や恒星天の距離といった不思議な距離が出てきるが、外惑星までの距離は典拠があるらしい値である。

続いて惑星の大きさについて記している。注目すべきは日輪の大きさで

  • 日輪の大なること二十二万九千五百零一里零九(51万8004km)

このような距離や大きさへの拘りは「地道説」の擁護にも役立っている。

江漢はこんなこと言っている:

仮に太陽が地球の周りを回転しているとすると

「予考える、太陽の大なること二十万九千五百一里余なり、日輪天の一度は三十五万二千五百八十六里三二九なり、太陽の一跨ぎに足らず、たとえば人の五尺の身を以って昼夜歩けば二十一里をへる」

と述べ、太陽の動きの不自然さを指摘している。面白い。

 

司馬江漢著 「和蘭天説 」再論

司馬江漢著 「和蘭天説 (Oranda tensetsu)」は寛政8年 (1796)の出阪である。この本の内容の種本は

天経或問游子六著:享保十五年(1730)
太陽窮理了解説本木良永訳 寛政四年(1792)

であるといわれている。特に後者は英ジョージ・アダムスの天文書 (英語版 1766、蘭語版 1770) を和訳したものである。太陽系の大きさに関心を持ち、実測をしたカッシーニの観測は1671年であるので、実物は読んでいないが、このアダムスの本には地動説は勿論この観測結果による太陽系の大きさの言及があると思われる。

和蘭天説には以下のような件がある:

「日月五星および恒星は、地上より仰望ば天にかかりてありと雖も、天地の大いなりを究めるれば、太陽月地と併せて称するにたらず、地も一つの星なり」

つまり、宇宙が広大であることがわかれば、地球も単に一つの星であることが分るという意味である。そして地球・火星の距離は

三千四百二十六万五千一百二十五里

と記している。一里を4kmとするとこれは1億3706万kmになる。実に「天文学的な距離」である。司馬江漢は宇宙の広大さを充分に認識していたと思われる。

また、凡例で「と天文学三道あり、一は星学(セイガク)、二は暦算学、三は窮理学なり」と記している。

この星学は占星術(Astrology)ことか?(明治の初めに南校で始まった「星学」は物理天文学であるが)、暦算学(Almanac),窮理学(Astronomy)の三分野を天文学の構成要素としている。ヨーロッパでも十七世紀後半まで占星術は払拭されない。

ウマに圧倒された:石器時代の芸術家たち

雑誌NEW SCIENTISTをウマで検索してみた。今日のテーマが「ウマに圧倒された:石器時代の芸術家たち」がトップで現れた。

ヨーロッパでは石器時代の 洞窟壁画が数多く見つかっている。そこに描かれた動物はウシ、ヒツジ、ウマなどであるが、その中でウマは圧倒的な大きさと存在感で描かれていることが多い。理由は不明。

1990年代以降壁画のデータベースが整理されて、現在では4700以上の壁画が登録されている由。

壁画の一例を示す:

大変に印象的なウマたちである。31000年まえの Chauvet 洞窟の壁画であるある。

プルジェヴァリスキー・ホース:その後

プルジェヴァリスキー・ホースについてはこのブログの「ウマはホース」のシリーズの最初に取り上げた。西暦1900年ごろモンゴルで発見されてから頭数が減少して1960年代にはモンゴルからいなくなってしまった。

その後動物園や個人所有のプルジェヴァリスキー・ホースを生まれ故郷のモンゴルに戻すプロジェクトができ、特にモンゴル政府とドイツ政府の協力でこのプロジェクトは実績をあげ、2004年の時点で約400頭のプルジェヴァリスキー・ホースがモンゴルの草原を走っている。

もう一度このウマの画像をここで。

不規則変光星ベテルギウスの減光

オリオン座の主星であるベテルギウスが著しい減光をしていて、星の末期症状にありこれから超新星爆発に繋がるのではないかという話題が散見している。

元々ベテルギウスは赤色超巨星の不規則な脈動変光星である。表面温度は3600度程度で太陽(5500度)と比較するとずっと低温であるが、光度は太陽の90000倍と実に明るく、大きさは太陽の1000倍と大きな恒星で、ブヨブヨした恒星である。

この星は通常400日程度の不規則な変光を繰り返している。変光の幅は小さいときもあれば大きなときもあるといった具合で、大きな幅のときは1等級程度になる。この通常の変光は星の内部の核融合は一定で発す光も一定であるが、その光が表面に達すまでにさまさまな機構で強弱を受けることで起こる。

今回の減光はかなりの幅である。観測テータはここにある。1等級近い減光であるが、ごく最近では増光に転じているので、多分これは通常の変光現象の1つのエピソードであったのであろう。

長期に亘る変光観測のデータも興味あるものである。一例がここにある。

 

ミツバチの「8の字」ダンスは面白い(2)

昨日のブログでミツバチの「8の字」ダンスについて書いた。太陽と餌場のなす角度とダンスの胴震いをしながら進む方向との対応関係を以下のように例を上げて説明した。

例をあげる。巣面にかけ時計がありその面上でミツバチがダンスをしていると思ってみよう。

仮に太陽が南にあり、餌場も南あるとするとミツバチはこのかけ時計の12時の方向に向かって胴震いをしながら進む。反対に餌場が北にあるとすると、ミツバチはこのかけ時計の6時の方向に向かって進む。餌場が西の方向では、ミツバチはこのかけ時計の3時の方向に向かって進む。餌場が東の方向ならば、ミツバチは9時の方向に向かって進む。

この通りであるが、角度をかけ時計の場合は12時から時計回りに測るとすると、3時は90度で、9時は270度となる。一方太陽と餌場のなす角度を南にある太陽から時計回りに測ると西は90度、東は270度になる。これはミツバチが示した事実である。

しかし、太陽と餌場のなす角度を南にある太陽から反時計回り測ると西は270度、東は90度になる。これは事実に反する。

「右利き」「左利き」は謂わば好みの問題であるが、ここの「時計回り対応」と「反時計回り対応」は話し手と聞き手のコミュニケーションの問題を含んでいる。例えば、話し手が「時計回り対応」を取っていて、聞き手が「反時計回り対応」をとっているとすると、聞き手のミツバチは餌場と反対方向に飛んでいってしまう。だからこの対応関係はミツバチの世界ではユニヴァーサルであるはずだ。なぜ「時計回り対応」を採用したのであろうか?

ミツバチの「8の字」ダンスは面白い

前日のブログでミツバチの「8の字」ダンスについて最新の研究成果を紹介した。

この「8の字」ダンスは動物のコミュニケーションの問題として面白い。

餌場を見つけたミツバチは「8の字」ダンスで、巣からその餌場までの距離と方向を仲間に知らせる。

honeybee
「8の字」ダンスと胴震い(waggle)-オリジナル論文より

まず距離の伝達である。遠くから帰ってきたミツバチはゆっくりとした頻度で「8の字」ダンスをし、近くから帰ったミツバチは活発にダンス(頻度が高い)をする。つまり、ダンスの頻度は距離に反比例する。実際はダンスの半ばで行う胴震い(waggle)のときに発する「ブーン」という音の発生頻度を仲間は聞き、距離推定に使っているらしい。

次に方向の伝達である。これも結構面白い。

巣面は地面に対して垂直になっている。餌場から帰ってきたミツバチはこの巣面でダンスをする。そのダンスのどう胴震い(waggle)をしながら進む軸(上の図)の方向と垂直とのなす角度が、仲間が巣を出たとき取るべき太陽と餌場との角度になる。

例をあげる。巣面にかけ時計がありその面上でミツバチがダンスをしていると思ってみよう。

仮に太陽が南にあり、餌場も南あるとするとミツバチはこのかけ時計の12時の方向に向かって胴震いをしながら進む。反対に餌場が北にあるとすると、ミツバチはこのかけ時計の6時の方向に向かって進む。餌場が西の方向では、ミツバチはこのかけ時計の3時の方向に向かって進む。餌場が東の方向ならば、ミツバチは9時の方向に向かって進む。

このようにして仲間は巣のなかで太陽を見てない状況であるが、仮に巣を出て太陽を見てどの方向にいったらよいかの情報を得ることができる。

このようにミツバチは直接見えない事柄についてコミュニケーションをしている。

 

 

種によって違うミツバチダンス

K.v.フリッシュ著「ミツバチの不思議」の中でも紹介されているが、ミツバチは餌場を発見すると巣に戻りそれを仲間に知らせる。その方法は「8の字」ダンスで餌場の方向と距離(ダンスの頻度が距離に反比例する。つまり近いと頻度が高く、遠いと頻度は低い。)を知らせる。この発見はカール・フォン・フリッシュでこれでノーベル医学・生理学賞を受賞した。

honeybee
「8の字」ダンスと胴震い(waggle)-オリジナル論文より

今日のブログのタイトルは今日の新聞記事の見出しである。この「8の字」ダンスに方言があるという記事である。この方言を発見したのはドイツ・ビュルツブルグ大学などの研究者で、トウヨウミツバチ、コミツバチ、そしてオオミツバチの三種の「8の字」ダンスを比較した。観察はこの三種がおなじ場所にすむインド南部で行われた。その結果、同じ距離にある餌場を仲間に知らせるときのダンスが三種で異なっているということを突き止めた。

元々この三種は巣からの行動半径が異なっていて、トウヨウミツバチの行動半径は約1000mで、コミツバチでは2500mであり、オオミツバチでは3000mと長くなる。

発見はこうだ:

餌場が800mのところにあったとしよう。

これに対してトウヨウミツバチはコミツバチよりゆっくりとした頻度でダンスをして、オオミツバチはこのコミツバチよりさらに速い頻度のダンスをする。

つまり餌場が800mと同じであっても

行動半径の短いトウヨウミツバチにとって「遠いところだよ」となり、コミツバチにとっては「まあまあの距離だよ」となるし、行動半径の長いオオミツバチにとっては「近くだよ」となる。

このオリジナルの論文はここにある。

 

アファナシェボ文化とトカラ語

前日の記事でアファナシェボ文化に触れたがこの文化圏はトカラ語派圏と重なる地域である。アファナシェボ文化圏はシベリア・ミヌシンスク盆地のアファナシェヴォで最初に発掘調査されたが、現在のモンゴル西部、新疆ウイグル自治区北部、カザフスタン中東部にまで広がっていた。だからモンゴルといっても西端が含まれるのにすぎない。

この地域は西暦800年ごろ死語になったインド・ヨーロッパ語族の一つであるトカラ語圏と重なる。トカラ語派を話す人たちはミイラのDNA型鑑定の結果、アファナシェヴォ文化を担った集団と非常に近く、個体の7割が南シベリアに特徴的なミトコンドリアDNAを持っていたため、北方から南下して来たことが明らかになった。