「あそび」と祭祀(さいし)

祭祀とは物事を形象化してイメージを創り出すことによって現実にとって代わるものを生み出す行為である。時が巡って季節の聖祭が再びやってくると、共同体は自然のなかに起こるさまざまの偉大な事件を神に奉げまつる行事に演じて祝う。

人類は自然の秩序をかれらの意識の上で捉えたそのままの形で演じ遊んでいるのである。

ーホイジンガ著「ホモ・ルーテンス」より

そして人々は何の理由もなく遊ぶ。

「あそび」の三つの形式的な特徴

ホイジンガは「ホモ・ルーテンス」の中で「あそび」の三つの特徴を挙げている:

1.「あそび」は一つの自由な行動である。命令されてする「あそび」、そんなものは「あそび」でない。この自由な性格によって「あそび」は自然な過程がたどる道筋から区別される。

2.「あそび」は「日常の」あるいは「本来の」の生ではない。幼い子どもでももう遊びというものは「ホントのことをするふりをしてするもの」だと感じている。

3.「あそび」は日常生活からその場と持続時間とによって区別される。それは定められた時間、空間内で「行われ」、その中で終わる。「あそび」の時間制限より「あそび」の空間的な制限が目立つ。

これらに加えて

「あそび」の場の内部は一つの固有な絶対的秩序が統べている。

「あそび」についての名言

ホイジンガは「ホモ・ルーテンス」の中で言っている

「あそびというものが現にあるということが、宇宙の中でわれわれ人間が占めている位置の超論理的な性格を絶えず幾度と無く証明する理由になっている。」

「動物はあそぶことができる。だから動物は単なるメカにズム以上の存在である。われわれはあそびもするし、それと同時に自分があそんでいることを知っている。だからこそわれわれは単なる理性的存在以上のものである。なぜなら、あそびが非理性的なものだからである。」

「わらい」と「あそび」

「わらい」と「あそび」は極めて人間的な行為である。しかし「キリストは決してわらわなかった」としてキリスト教ではわらいを禁止していた。それ故キリスト教の僧院の文書館では「わらい」を含む異教徒の書籍は厳重に管理されていた。これが「薔薇の名前」(ウンベルト・エーコ著)のテーマでの1つである。

ホイジンガは「ホモ・ルーテンス」の中で「あそび」の文化史的な意義を強調している。「あそび」のなかで、「あそび」として文化がうまれ発展したのだ。

東アフリカの酪農「5000年前から」

今朝の新聞記事のタイトルである。

東アフリカのケニヤやタンザニアなどでは古くから牧畜が行われている。この地域の牧畜がどの位前まで遡るかという問題である。牧畜は黒海・カスピ海周辺で紀元前4000年ごろ始まったが、この牧畜の地球規模への拡大を知る手掛りとなる。

遺伝学的な研究からこの地域の牧畜は5000年前ごろに始まったとされていたが、今回の研究は遺跡出土品からの研究でこの指摘を再確認した。

米フロリダ大学の研究者たちはケニアとタンザニアの5000年から2000年前にかけての四つの遺跡から出土した土器の破片に付着している脂肪酸などの有機物を解析した。その結果5000年まえのものを含めてウシやヤギなどの反芻動物の乳由来の脂肪酸を検出した。

この考古学的な結果は遺伝学的な推定と重なっている。6000年前に黒海・カスピ海周辺で始まった牧畜は1000年かけて東アフリカまで伝播したことになる。

ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」

たっぷり本を読む時間ができたので書棚にある本を読み返している。

ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだ。角川書店から出ているもので上下二巻の単行本である。

上巻はキリスト教とギリシアやローマの多神教、特に太陽神信仰との争いが詳しく展開されていて面白い。ダ・ヴィンチも「太陽賞賛」手稿の存在などから太陽神信仰を持っていたことが分っている。

下巻は「聖杯」を巡る「捕物」が中心になって、急転回の「辻褄あわせ」が多くなってしまっているのが残念である。

土御門神道と五芒星(ごぼうせい)

欧米では五芒星(ごぼうせい)は金星のシンボルとなっているが、土御門神道のシンボルもこの五芒星である。

吉田光邦著「星の宗教」によれば、土御門神道の本庁の霊場は福井県遠敷郡名田庄村にある。この名田庄は小浜の東北の山間地にある村である。この霊場の傍に四つの神社がある。加茂神社、貴船神社、善積川上神社、泰山府君社の四つである。泰山府君社は陰陽師の安倍晴明が特に信仰したもので土御門神道に引き継がれたものである。この霊場や神社周辺では五芒星が沢山見られる。神社の提灯には「家紋」に対応するところに五芒星が書かれている。また神主の冠にも、神社の神符にも五芒星が書かれている。

また京都に晴明神社あり、安倍晴明を祭ってあるが、ここでも提灯、社殿の屋根瓦、飾り金具に五芒星が描かれている。

五芒星(ごぼうせい)は土御門神道の最重要なシンボルのように思える。

泰山府君と東岳大帝

泰山府君

秦の始皇帝(紀元前220年)が泰山で封禅(ほうぜん)の儀式を行った。封は天を祀る儀式で泰山の頂上に壇をしつらえおこなった。禅は地の神に向けての祭りで麓で行った。この封禅の儀式では不老長寿や国運の長久を祈願した。泰山府君はこれらの天の神と地の神の二つながらの威力を持つ強力な神格である。

東岳大帝

「道教の神々」によれば五行説に基づいて五つの山が信仰の対象になった。それらは東岳泰山、南岳衡山、西岳崋山、北岳恒山、そして中岳崇山である。これらお五岳の内で最も権威があったのが東岳泰山で人間の貴賎高下の区別や生死の時期を決める力を持っているとされた。唐の玄宗は東岳泰山を天斉王に、北宋の真宗(十二世紀)は東岳天斉仁聖帝に封じた。これをきっかけに東岳大帝の信仰が始まったという。

いつしかこれらの東岳大帝と泰山府君の区別が無くなってしまったらしい。

レオナルド・ダ・ヴィンチと司馬江漢

レオナルド・ダ・ヴィンチと司馬江漢は二人とも画家であるが、天文研究もしていたという共通点がある。しかも太陽中心説を擁護する論法が独特で面白い。

レオナルドは言う:

「大きさからみても、 力からみても、宇宙に はそれを凌ぐ天体は見当たらないのから。太陽の光は宇宙に広がるすべ ての天体を照らす。 」(「太陽の賞賛」手稿)

江漢は言う:

「太陽ノ大ナルコト三十万九千五百一里余ナリ、日輪天の一度ハ三十万二千九百八十六里三二九ナリ、太陽ノ一跨(ヒトマタギ)ニ不足(タラズ)、タトエハ人ノ五尺ノ身以テ昼夜歩(ユカ)バ二十里ヲ歴(ヘ)ル」(和蘭天説)

と両者とも太陽が不動なことを主張している。論法が面白い。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの天文研究

世界史的にみると天文学が個別科学となるのは17世紀で「太陽系の大きさ」といった天体までの距離や天体の大きさが議論されはじめたころであると考えられる。これはコペルニクスの天動説から地動説への転回(1543年)より天文学にとっては本質的であると考える。

このような状況にあって15世紀の終わりから16世紀の初めにかけて生きたレオナルド・ダ・ヴィンチがどうような天文学の研究をしたか興味がある。この問題にたいする詳しい研究の一つに井上昭彦氏の研究がある。それによればレオナルドは「太陽の賞賛」という手稿の中で以下のように記している

「ああ 、太陽よりも人間を崇め讃えようとする人びとに論駁できるほどの 語彙が私にあればよいのだが。大きさからみても、 力からみても、宇宙に はそれを凌ぐ天体は見当たらないのから。太陽の光は宇宙に広がるすべ ての天体を照らす。 」

全てを照らす太陽が宇宙(太陽系)の中心にあることを主張している。これ以前の手稿で天体の見かけの大きさと真の大きさとの関連を議論したり、月の性質を議論している。

天体の見かけの大きさと真の大きさの関係を量的関係として把握する一歩手前まできている。

因みに天体の大きさや天体までの距離を最初に量的に把握したのは古代ギリシアの人々で、地球の大きさ、地球から月までの距離、月の大きさを観測から求めている。地球から太陽までの距離はさすがに難しく信頼できる値は得られていないが、太陽がとてつもなく大きな天体であることは認識できた。これらの知識はアラビアの科学を経て12世紀ごろからヨーロッパに知られるようになる。