馬の物語(DVD)二題

手元に馬の物語のDVDが二本ある。
一つは「ワイルドブラック少年の黒い馬」(原題はBlack Stallion)でフランシス・F.コッポラ総指揮のもので11歳の少年と黒牡馬との交流を詩的に綴ったもので画面や音楽が詩情ある雰囲気にできてる。

Black Stallion
Black Stallion

もう一つは「黒馬物語」(原題はBlack Beauty)でこちらは文字通り馬が主役で、誕生から安住の地を得るまでの様々な経験を馬の語り口で綴ったものである。

Black Beauty
Black Beauty

二本とも馬の演技が面白い。

馬は右利きか左利きか

乗馬の駈歩の発進でよくある光景は右手前の駈歩発進で左外側前肢を前に出す反対駈歩で走る馬たちがいることである。左手前では問題ない馬も右手前になると反対になることが多い。この原因は駈歩の訓練が左手前が多いことあるかもしれないが、馬の本来的な特徴なのかもしれない。
アイルランドの研究者たちはそこで40頭の未訓練の馬たちについて利き手(Handness)を調べた。実験では歩き出す肢は右か左か、障害物を迂回するとき右に回るかそてとも左か、敷き藁に横たわるとき右に倒れるのか左か、を調べた。
結果は大部分の牝馬たちは「右側」を好み、大部分の牡馬たちは「左側」を好み、約10パーセントは特に好みの方向はなかった。性差があることに興味が沸くが、イヌやチンパンジーにそれがある。
多分乗馬学校には牡馬が多いので最初のような結果になるのであろう。次に牝馬に乗る機会があったら確かめてみょう。

石器時代の馬のヒョウ柄模様

南フランスの洞窟には石器時代(約25,000年前)に居た人々が描いた動物の壁画がある。そこには興味ある馬の描画がある。写真にみるようにヒョウ柄の模様にある馬である。

ウマの壁画
ウマの壁画

このヒョウ柄の馬は当時そのような馬がいたのでそれをリアルの描写したものか、または当時の人々の想像の産物であうか?考古学者たちの間で議論がされてきた。
最近になって研究者たちは現生馬の骨とこの石器時代に生きていた馬の骨のDNA解析を行ってこの問題に決着をあたえた。
2009年に発表された9,000年から20,000年前にいた馬の骨の解析ではこれらの馬たちは青毛(black)や鹿毛(bay)(茶色の毛並みでたてがみと尾が黒色)で大変に地味であった。その後遺伝学者は現生馬の中でLeopardとして知られている馬のDNA系列のなかのLeopardの系列を特定した。それを受けて、その後11,000年から15,000年前に生きていた馬の骨のDNAが再調査された。

LEOPARD
LEOPARD

その結果はこれらの馬たちの骨のDNAにはLeopard系列に対応する系列が存在することを見出した。つまりこの当時生きていた馬たちはleopardで人々はその姿を洞窟に壁に描いたと結論された。

E. przewalskii vs. E. caballus

1960年代に唯一の野生馬として発見され、各地の居留地で飼育されその後計画的な繁殖が行われたプルツェワスキー馬(E. przewalskii)は1994年に16頭が野生に放たれ現在はその数が100頭までになっている。
ところでこのプルツェワスキー馬と現生の家畜馬(E. caballus)とはどのような関係にあるのか。これは盛んに議論されてきたがまだはっきりとした結論がでていない。現生の家畜馬は元々は野生の馬で、6000年前に人間と接触し家畜化の道を選んだ馬たちの後裔である。
この二種類の馬たちは異なった数の染色体を持っていることが分っているが、この馬たちはほぼ同じミトコンドリアDNAの系列を持っているので品種の違いにすぎないと示唆されきた。
ところが2003年にドイツの研究者たち(元の論文はここ)プルツェワスキー馬のY染色体に同定された部分の種ごと変動を調べ、現生馬とプルツェワスキー馬は12万年から24万年まえに分かれた種であることを突き止めた。家畜馬は6000年前の野生馬だから、この二種の馬は品種の違いすぎないという議論は成り立たないことになる。研究者たちはプルツェワスキー馬はシマウマやロバと近親種であることを示唆している。

馬乳(mare’s milk)

日本では馬肉を食べる習慣があるが、馬の乳を飲む習慣はあまり聞いたことがない。
ところがドイツ、ベルギー、オランダそしてノルウエーでは馬のミルクは大変に人気のある飲料で、ドイツでは各戸配達される商品にもなっている。値段はかなり高く、250mlで12ユーロ(約1200円)もするが、馬のミルクは牛乳より薄めであるが甘みは強くスイカのような香りがするらしい。
一方、馬の肉を食べることはフランス、イタリアなどラテン語系の国では盛んであるが、英語圏ではこれはタブーとなっている。
また、中央アジアのモンゴルなどと馬を飼育している国では馬乳をアルコール発酵させた馬乳酒が造られ飲料されている。アルコール濃度は1パーセント程度であるのでモンゴルでは誰でも飲んでいる飲料である。

ムスタングの過剰繁殖

米国西部にいる「野生馬」のムスタングの過剰繁殖が問題になっている。
元々はスペイン人のアメリカ大陸進出に伴なって持ち込まれた家畜馬だったが野生化したものである。米国西部のネバダ州などの砂漠地帯に生息しているので、食料となる草が乏しくかなり過剰繁殖である。食料を求めて牧場運営の人間とのトラブルが起きている。またトラックが落としたアルファルファを求めて道路に進出し交通事故死する馬もある。
これ以上数が増えないようにする対策は馬を捕獲して不妊治療を施して再度野生の戻すことだが費用の面や決定的な不妊治療薬がないなどの問題を抱えている。この野生馬の管理はUS Bureau of Land Management(BLM)が行っている。1970年代からこの過剰繁殖対策をやってきているが費用は年間7,400万ドルにも達している。捕獲して収容している野生馬は49,000頭になってる。この数は年々増加している。年間で5700頭が捕獲されているが、里親が見つかって施設を出て行く馬は僅か2600頭で、施設の収容限界50,000頭に僅かな余裕しかない。

歯槽間縁と口角

「ハミ受け」と関係あるかもしれないこととしてウマの口の中でのハミの置かれている場所は何処かという問題を考えてみたい。

乗用馬の頭絡を装着した様子を観察すると明らかにハミは口角のところにある。これは口のなかでは前臼歯の第二歯あたりに最初はあることになる。これが正しい位置らしい。

ハミは前歯と前臼歯の間にある歯槽間縁に置かれるといわれるが「普通」は口角にある。

馬にとってはハミが口角にあるばあいと歯槽間縁にあるばあいどちらがハミを噛んでいる負担が少ないのであろうか?

口角には神経が沢山きていることを考えると歯槽間縁に置く方が負担は少ないように思われる。

それならば何故最初から頭絡の調整してハミを歯槽間縁に置くようにしないのであろうか?

前回のブログで説明したように、「ハミ受け」のできた馬は前後背中とも丸くなる。このような丸くなった馬では伸びた状態でつけた頭絡のハミの位置が移動する。最初から歯槽間縁にハミを置くとこの丸くなった馬ではハミの位置はもっと前にきてしまう。

最初は口角にあったハミは馬が丸くなることで前方に移動して歯槽間縁に収まるようになる。

従って「ハミ受け」で最も大事なことは繰り返しになるが馬を前後背中とも丸くすることである!

「ハミ受け」とは如何なることか?

「ハミ受け」(on the bit)とは如何なることか?

この疑問が湧いてきたのでインターネットを検索してみた。ベスト・アンサーはここにある。よく地面に対して鼻が垂直より小さい角度になったウマの姿勢を「ハミ受け」と考え勝ちであるが、これは誤解であることを著者は指摘している。

on the bit
on the bit( from THE THINKING EQUESTRIAN)

上の画像は左右ともウマはon thr bitにある!
右は単に加えてon the verticalにあるにすぎず、左右とも「ハミ受け」ができている。

それでは「ハミ受け」とは如何なることか?
著者は三つの点を指摘しこれらが達成されたウマの状態を「ハミ受け」(on the bit)の状態であるとしている。その三点とは:

(1)ウマの腹の筋肉が持ち上げられている。

(2)ウマの骨盤が閉じていることで後肢が馬体のさらに前方に達すようになっている。

(3)乗り手の拳との接触を維持しようとウマが前方に向かうことにより首がアーチ状になる。

「ハミ受け」の全体像
「ハミ受け」の全体像( from THE THINKING EQUESTRIAN)

ヤクート(yakut)種のポニー

New Scientistで”White walker:Longest horse trek crosses icy lake”という記事を見つけた。
これは冬に凍っているバイカル湖を9000kmも横断したポニーの話である。このポニーはシベリヤ東北部に住んでいるヤクート人が飼ってポニーでこのポニーもヤクート種と言われている。
写真で見るように大変に精悍なポニーである。

ヤクート種
ヤクート種

話は1889年に時の皇帝アレキサンドル三世のとき、コサックの兵士Peshkovがこのポニーが如何に冬に強いかを示すために厳寒のバイカル湖を横断したのである。
これまではこのポニーは主として食用として飼育されていた。

蹄鉄の起源

最近は樹脂製の「蹄鉄」もあるが、蹄鉄といえば「鉄」である。ショックを吸収することから軟鉄が使われている蹄鉄の起源は何処だろうか?
窪田蔵郎著「鉄から読む日本の歴史」によれば、自然界から鉄を取り出す技術は中央アジアで始まった。この技術はその地を追われたトルコ系民族の突厥(トッケツ)つまりダッタン人によって東に伝播した。ダッタン人の語源タタールが転化してわが国の製鉄炉の「タタラ」になったと言われている。これは中国には漢の時代(紀元前200年)ごろからである。乗馬の風習も前後して東に伝播したのであろう。そしてこのダッタン人が馬に蹄鉄を装着すること始めたと言われている。