小惑星「2020QG」、地球に最接近

今朝の新聞に記事のタイトルである。

火星と木星との間に小惑星帯があり、大きいものだけでも1万個以上の小惑星が存在している。小さいものは無数にあるが、他の大きな小惑星の影響を受け、地球にまで接近するものもある。

今回の記事の小惑星「2020QG」もそのような小惑星の1つだったのだろう。記事によればこの小惑星は直径3~6メートルと自動車なみの小さなもので、最も接近したのは16日午後1時8分(日本時間)、南インド洋上空2590キロであった。この距離は国際宇宙ステーションの高度の7倍強にあたるが、観測史上、小惑星の接近記録としては最小距離との由。

地球の大気圏が高度約500キロであることを考えるとかなり遠くを通過したことになるが、この小惑星の軌道は地球の重力の影響を受けているらしい。

無限階段と無限音階

エッシャーの話がでたので関連するだまし絵とだまし音階の話をしたい。

まず「無限階段」:原理はこれた。作品を一つ。

この「無限階段」に似たものに「無限音階」がある。床屋の看板にあるが単にそこで回転しているだけなのにパターンは常に上昇しているように見える。これを音階として表現したものである。

実例はここにある。

ヒトの耳の可聴音域は約20ヘルツから2000ヘルツで、最も感度かよいのは1000ヘルツである。20ヘルツ以下の音や2000ヘルツ以上の音はヒトの耳には聞こえない。単音で周波数が上昇する音を聞くと音階が上昇していることを認識するがこの単音は2000ヘルツを越えるとヒトには聞こえなくなる。「無限」ではない。ところが複数の単音を次から次に発生させ、常に可聴音域に周波数が上昇する単音があるようにすると、ヒトは常に上昇する音が出てると錯覚する。

おれが「無限音階」の原理である。

この「無限に高く(低く)なっていく音」は1964年にベル研究所のRoger N. Shepardが考案した「1オクターブ上がっても最初と同じに聞こえる音」によるもので「シェパードトーン(無限音階)」と呼ばれている。

 

国府・多賀城と海との関係

律令制のもとで国府が各地に作られたが、陸奥の国府は現在の多賀城市(多賀城跡)に設置された。国府の設置された場所はそれなりの理由で選択されたと思われるが、多賀城のばあいは何であったのだろうか?

それは海かもしれない。多賀城が作られた8世紀ごろの海岸線についてははっきりしないが、縄文時代まで遡ると海岸線がずっと内陸にあったらしく現在は内陸になっている近郊の利府や岩切といったところが海岸線であったらしい。多賀城の創建当時はかなり海岸線に近いところに建てられたのではないかと思われる。

海が近いと便利なことは一つは海上交通の便がよいことであり、二つ目は海産物とくに塩が身近に得られることである。

海上交通では太平洋側は大変だったはずで、日本海側の中世の「廻船」に比較して近世になってようやく「東廻り」が開拓されたほどだから8世紀ごろは現実的な問題となっていなかったと思われる。

塩の問題が面白い。国府が行政組織であれ軍事組織であれ多くの人間が常駐しているわけで「兵糧」の問題が深刻であったはずだ。特に塩は重要なもので近くに塩が得られる場所があると都合がよい。塩釜の製塩がいつごろから始まったのははっきりしないが、多賀城に近い塩釜神社では原始的な製塩法である「藻塩焼神事」(もしおやきしんじ)が現在も行われており、製塩の古さを示唆している。塩が身近に得られるところは国府に相応しい場所と考えたのではないか。

核兵器禁止条約批准44ヵ国目:セントクリストファー・ネビス

今朝の新聞で目に留まった記事のタイトルである。

この条約の発効には最低でも50ヵ国での批准が必要であるが、セントクリストファー・ネビスでの批准で、条約の発効にはあと6ヵ国となった。

核兵器禁止条約は2017年に122ヵ国によって採択されたが、50ヵ国目の批准書が国連に寄託された後90日で発効する。

セントクリストファー・ネビスはカリブ海にある国で人口約5万3千人。カリブ共同体(カリコム)に加盟している。

「エッシャーが命を懸けて守った男、メスキータ」展

今朝の新聞の美術欄の展覧会の案内である。

サミユル・イェスルン・デ・メスキータは19世紀末から20世紀の当初にオランダで活躍した画家、版画家、デザイナーである。画像のように大胆に単純化された白黒の画面が印象的である。

ユダヤ人であった彼は1944年1月にアウシュビッツ強制収容所で死去。教え子の一人であったエッシャーは師の作品200点をアトリエから持ち出し戦争中も守りとうした。

記事は日本初の回顧展で宇都宮美術館

貝殻で作ったリャマ彫像:チチカカ湖底で発見

今日の朝刊の記事のタイトルである。

南米のペルーとボリヴィアの間にあるチチカカ湖周辺はインカ時代(~17世紀)の宗教儀式をおこなったところらしくこれまでも遺物が発見されていた。

今回の発見はベルギーの研究者たちによるもので写真のように石で作ったはこの中に、貝殻を彫って作った小さいリャマの彫像と小さい円筒形の金箔が入っていた。この貝殻は遠く離れた赤道直下のエクアドルで採れたものである由。

能の物語(白洲正子著)

「能の物語」(白洲正子著)という本がある。能で演じられる代表作を舞台で表現される情景を織り交ぜながらそれらの物語を綴ったものである。

井筒(いづつ)
鵺(ぬえ)
頼政(よりまさ)
実盛(さねもり)
二人静(ふたりしずか)
葵上(あおいのうえ)
藤戸(ふじと)
熊野(ゆや)
俊寛(しゅんかん)
巴(ともえ)
敦盛(あつもり)
清経(きよつね)
忠度(ただのり)
大原御幸(おおはらごこう)
船弁慶(ふなべんけい)
安宅(あたか)
竹生島(ちくぶしま)
阿漕(あこぎ)
桜川(さくらがわ)
隅田川(すみだがわ)
道成寺どうじょうじ)

敦盛(あつもり)、清経(きよつね)、船弁慶(ふなべんけい)、安宅(あたか)等、悲劇のヒーローを題材としたものが多い。

説経節の世界:信田妻(葛の葉)

村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。摂津国東生郡安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。全ては稲荷大明神(宇迦之御魂神)の仰せである事を告白し、さらに次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。

恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉

この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。保名は書き置きから、恩返しのために葛の葉が人間世界に来たことを知り、童子丸とともに信太の森に行き、姿をあらわした葛の葉から水晶の玉と黄金の箱を受け取り別れる。なおこの水晶の玉と黄金の箱は、稲荷大明神(宇迦之御魂神)から葛の葉が童子丸に授ける様に仰せを受けて預かっていた。数年後、童子丸は晴明と改名し、天文道を修め、母親の遺宝の力で天皇の病気を治し、陰陽頭に任ぜられる。しかし、蘆屋道満に讒奏され、占いの力くらべをすることになり、結局これを負かして、道満に殺された父の保名を生き返らせ、朝廷に訴えたので、道満は首をはねられ、晴明は天文博士となった。

このブログでも晴明に関連する星祭りを紹介したことがある。