ハチ繁殖低下にダブルパンチ:ネオニコチノイドと餌不足

今日の朝刊の記事のタイトルである。

一つのハチの巣には一匹の女王ハチと沢山のメスの働きハチが殆んどでオスはいても一割程度であるといわれている。それほどメスの存在がハチの巣の管理と繁殖にとって重要である。

この記事ではネオニコチノイド系の農薬の使用と餌不足が重なってハチの繁殖を大きく低下させているという研究結果を紹介している。

研究対象になったハチはハキリバチの仲間である。ミツバチと同じように蜜と花粉を求めて花から花へと飛び回るので花粉媒介者として重要な役割をはたしてる。

カリフォルニア大学の研究者たちはこのハチに対するストレス要因を調べた。その結果カリフォルニアで最も頻繁に使われるネオニコチノイド系の農薬であるイミダコロプリドと餌不足が重なることによってこのハチの繁殖能力が低下してことを見つけた。

特に多くの巣を作ったメスについてみるとイミダコロプリドに暴露されたメスがメスの子どもを一匹でも生む割合は62パーセントで(つまり40パーセント近くメスは次の世代の繁殖を担うメスを生んでいない)、暴露されたかったメスの92パーセントに比較して大きく低下したという。

ダチョウは膝のお皿を四枚も持っている

New Scientistsにあったダチョウの話題である。

ダチョウは鳥類の Bruce Dickinsonである。多くの面でずば抜けている。現生の鳥類のなかで最大の大きさを持ち、最大の大きさの卵を産む、そして高速で走ることができる。

こんなところは多くの人が知っていることであるが、二本の脚の各々に二つの kneecap(膝のお皿)をもっている多分唯一の動物であることは知らない人が多いのではないか?(筆者もである)。1864年に発見されたが、それ以降不思議なことされてきている。

ロンドンにある王立獣医学校の研究者たちは動物園から提供された死んだダチョウの脚を曲げたり伸ばしたりして各部の骨の動きをbiplanar fluoroscopyを使って調べ、それらを説明する簡単なモデルを作った。

それによると

「上部にある膝皿はヒトのそれと同じような役目をしている。しかし下部の膝皿はそれより下になる脚の骨に非常に接近して付いている。それはヒトの肘の関節に似ている」と研究者たちは語っている。

膝皿は膝の伸筋のてこの作用を助けるためにある。その結果、膝を伸ばすにあまり大きな力を必要としない。これはドアの取っ手が蝶番から遠くにあることに似ている。この結果、小さな力でドアを開けることができる。

ダチョウの上部膝皿はこれと逆の働きをしているらしい。つまり大きな力を必要とするようになっているが、この結果膝を速く伸ばすことが可能になっており、高速に走ることができる。下部膝皿の役割は膝の前面を走っている関節腱の保護かもしれないという。

仏像でみる日本の密教:吉祥天女と弁才天女

密教の世界に女神が登場する。吉祥天女と弁才天女ともヒンズー教由来の女神であるが、奈良時代後期から仏教の信仰の対象になった。

河の神である弁財天女は八臂の像で強大な威力を持つ神である(琵琶を持った二臂の弁天像は鎌倉時代以降のものである)。信仰の対象としては吉祥天女が一般的であった。福徳を施す神である。

「のぞみはないですが、ひかりはあります」

この言葉は新幹線の駅員が普通に言ったことばだが、何となく意味があるように響く。

今朝の新聞の「ひと」欄には、このような標語の投稿をインターネット上の交流サイトで募り表彰する「輝け!お寺の掲示板大賞」を主催している僧侶江田智昭さんが載った。

今回の募集は三回目で、一回目の一昨年は700件、昨年は950件の公募があった。今回は10月末が締め切りであるが、既に1000件以上が集まっているという。

江田さんによればこれまでに集めた標語の一番のお気に入りは今回のブログのタイトルに使ったものだという。

仏像でみる日本の密教:千手観音(せんじゅかんのん)

多数の手を持ち救済の能力を最大限もった観音が予想される。この極限が千手(せんじゅ)観音である。

天平宝宇三年(759年)に鑑真により唐招提寺に安置された千手観音は現存する最古のもの一つである。この観音は立像であるが、同時期に作られた河内葛井(ふじい)寺の千手観音は坐像である。

平安中期以降には千手観音信仰は盛大になり、観音信仰を独占するまでになった。その最高潮には一千体の千手観音を安置する堂宇を創るまでになった。

仏像でみる日本の密教:不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)

東大寺法華堂(三月堂)の不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)がよく知られているが、この観音は十一面観音よりさらに強力な観音で、この観音を祈る全て人間を洩らさず救済するという誓願を持っている。この観音に関する経典は三十巻経もあり、この観音の信仰を中心とした宗団もあったらしい。

日本では東大寺のものが最古のもので、天平十八年ごろの作と思われている。一面三目八臂のすがたをしている。その他この観音は大安寺、唐招提寺、広隆寺などに現存する。

仏像でみる日本の密教:十一面観音

観音による救済の願いが強くなり、多義に渡ってくると観音像も次第に複雑になる。その初めのものが十一面観音である。

十一面観音に対する信仰は奈良時代後期なると次第に盛大になった。この時代の造像のものが現在でも多くの残っている。美江寺、聖林寺、観音寺、大安寺。

平安時代にも天台密教の中で十一面観音の信仰が受け継がれていた。そのため比叡山内の僧房の本尊として作られたものも多いという。

地方では滋賀県渡岸寺(とがんじ)の十一面観音が有名。

「お水取り」で知られる東大寺二月堂の秘仏も十一面観音である。「お水取り」は十一面観音悔過(けが)という行法で、悔過(けが)とは仏に過ちを悔いることである。そのため、祈ることは勿論、五体投地などの荒行をおこなう。この功徳によって天下泰平、風雨時順、五穀豊穣などの現世利益が達成されると考えられた。

仏像でみる日本の密教:観世音菩薩(観音)と観音経

観音像は阿弥陀如来の脇侍の一尊であるが、法華経に含まれる観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品)においては人間のあらゆる危難に応じて種々の姿に変化し救済を行うものと記している。これは大乗仏教にいうさとりへの道を追求し、さとりの境地の象徴としての浄土への信仰に比較すると大変に異質な性格である。この性格が観音の密教的な仏であることに繋がっている。

飛鳥時代、奈良時代を通じて観音信仰が盛んであったことは当時の多くの観音像が現存することから分る。例えば

法隆寺の百済(くだら)観音、夢殿救世(くぜ)観音

薬師寺東院聖(しょう)観音

これらの観音は一面二臂の姿をした像であるが、やがて多面多臂の姿になる。

仏像でみる日本の密教:現世利益(げんせりやく)

「日本密教:その展開と美術」(佐和隆研著)という面白い本がある。このブログでも何回か引用した。改めて読んでみた。

日本が受容した仏教は大乗仏教であり、招来された仏教はその中でもさとりへの哲学を説いたものであった。

この本では

「多くの菩薩がその祈願者に現世利益(げんせりやく)をもたらすという信仰は大乗仏教の思想の中に秘められている。この信仰を展開させて、その背後に仏教的思想による統一を与えたのが密教でる」と密教の性格を端的に記述している。

この本の面白さは現在われわれが古寺で目にする仏像が造像された当時にどうような性格の仏像であったかを推察していることである。

「香料の道:鼻と舌:西東」:「沈香(ちんこう)」

「沈すなわち香」という言葉がある。中国では焚香料の代表格が沈香である。

沈香木は中国西南部と海南島、ベトナム、タイ、ボルネオ等、熱帯の山間僻地の樹林中の生育するアキラリア属等の樹幹のある小部分に稀に生ずる。この木か何らかの刺激を受けるとその部分だけが樹脂化して沈香木となる。地中の埋もれて木自体は腐食してしまうが、沈香木は残るのでこれを採取する。

「沈香を焚けば香気は寂然(せきぜん)として鼻の中に入る。それは木でなく、空でなく、煙でもない。去って着くところがなく、来るもよるところもない」と言われる。

古インド語のサンスクリットでは沈香をアガルーという。「ア」は接頭語で、「ガルー」は重い、水に浮かばない。つまり「沈」である。

沈香木の絶品が伽羅木(きゃらぼく)であり、別名を奇楠木(きなんぼく)という。